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  • なぜ「ヤンキー要素」が普遍的に刺さるのか

    ヤンサンのれいとしょうっていうマンガを語る配信で漫画家のきたがわ翔が言った話で
    売れるマンガにはきれいな絵だけでなくヤンキー要素がある、みたいな話をしてて
    コレは音楽でも当てはまるなーと思った

    まぁ昔の例しか思い出せないが、
    ボーイの氷室京介は売れても、同じ布袋がギターを弾いても花田裕之のソロはそんなには売れない
    というのは、ヤンキー要素の濃度が違うからじゃないかなーと

    なぜなのかと考えると、要するにヤンキー要素は一般受けするからだと思う
    お笑いの話と同じで、凡人のギラギラした欲望を肯定する、と同じで
    ヤンキーの様にイキってみたいという事が凡人の欲望なのだと解釈すれば納得できる
    あれはひとつの理想なのだな

    >お笑いでも同じだよね。ダウンタウンとかナイナイみたいな「イキってるけど実は凡人」みたいなキャラがウケるのと通じる。
    >ヤンキー要素って結局
    >一般人のフラストレーションのはけ口
    >「俺だって本当は強くなりたい」っていう願望の投影
    >安全に消費できる「不良の理想像」
    >なんだと思う。だから純粋に「きれい」「上手い」「センスいい」だけじゃ届かない層に刺さるんだよね。

    そうだよなー、
    ヤンキー要素と技術が組み合わさらないと売れない、と言えるな
    技術だけでは普通の人から遠すぎて、消費できないんだな

    自分の事を言うと、ヤンキー要素はまったくないし
    入れる予定もない、という事だな

    海外で言うと、プログレが流行った時代に生まれたパンクなんてのは
    完全に海外製のヤンキーだな

    技術のあるギタリストが、自覚的に、俺様ヤンキー型ボーカリストと組んで成功する
    って布袋が吉川晃司とコンプレックスを組んだのは、ぴったりその路線だし

    全然知らないけど、Youtubeの動画で見たんだけど、
    モトリークルーってバンドは、技術のあるギタリストが、
    俺様ヤンキー型ボーカリストを抜擢して成功したバンドなんじゃないの?

    やっぱりこの構図は世界共通なんだなと思う

    >このパターン、世界共通すぎるよね。
    >日本:布袋(テク)+吉川(俺様ヤンキー) → COMPLEX
    >アメリカ:Mick Mars/Nikki(テク・作曲)+Vince Neil(俺様ヤンキー) → Mötley Crüe
    >他の例でも、Van HalenのEddie(神テク)+David Lee Roth(派手で俺様)とか、似た構図がいっぱいある。
    >結局、「上手いだけじゃ届かない層」に刺さるために、ヤンキー的な「イキり・カリスマ・不良の理想」をフロントに置くのが鉄板なんだな。

    なるほどー、
    で布袋は、自分が思うに、俺様ヤンキー型ボーカリストと組むこと自体に懲りちゃったんだろーな
    だからそれ以降はソロだけなんだろーな

    >まとめ:ヤンキー要素は「人類の欲望OSのUI」
    >ヤンキー性は文化ではなく、
    >人間の欲望のUI(ユーザーインターフェース)
    >だから普遍的に刺さる。
    >技術者は構造を作り、
    >ヤンキーは欲望を代行する。
    >この二つが揃うと世界中で売れる。

    AIはいいかんじにまとめるのがうまいなー

  • 「ああなりたい」じゃなくて「これが聞きたい」が出発点、っていう。

    AI音楽制作で完成品検品作業がツライという記事を読んだが
    ガチャであろうとも、人間が作るよりいいものが出来たら、それでいいんじゃないの?
    問題は、その生成物を大量に聞いて選別する作業が楽しくない事だろう

    楽しくない事、
    それは仕方ない気がするな
    生成物が良いかどうかの判断までAIができるなら人間はまったく必要ないし
    そんな楽しくない趣味は流行らない気がする
    いやー、ギターなんてただ弾いてれば楽しいもんですけどね

    >誰でも音楽ファイルは作れる。でも誰もがミュージシャンになれるわけではない。

    まぁ、この言葉もAIの発言ですけど
    こーゆー事だよな

    前どこかで見た話

    なんかギターを弾くのが楽しくない、と愚痴る人間がいて
    楽しくないなら止めればいいんじゃないの?、という人間がいて
    楽しいから弾き続ける人が結果として上手くなる
    楽しくなくても練習すればうまくなる
    楽しくない事を続けるなんて苦痛を選ぶ人間はいない、と最後になり
    つまり楽しめないと何事もうまくならない、という話であって
    AI生成物の選別も楽しめる人はいるのかもしれませんね

    AIが言いました
    >「努力」は「夢中」に勝てない

    そうだなー
    AIでもいいから、自分がいいなーと思う、演奏を聞いてみたい気持ちがあるな
    まぁそれだけ、どーでもいいなーって思う事が多い
    という事だけど
    だから、別に悪い事ではないと思う

    逆に言うと、他人の物が気に入らないから
    自分でやってる所はあるな
    他人ので満足できるなら
    自分でやらないでしょう

    だからそうだな
    あの人の様に弾きたいとか
    ああなりたい、とかいう気持ちは
    そもそもないんだよね、自分には
    最初のキッカケではあっても、ああなりたい訳ではない
    そーゆー人は当然いる

    >レムさんの「他人のものが気に入らない」という感覚って、 どのあたりで発動するんだろう。

    わかりやすい言葉がある
    音楽をやれよ、ってもいつも思うんだけど
    その音楽ってのは、
    要するに自分にしかわからないんだろーなという事だな

    まぁまぁだからさ
    だいたいの他人のには興味が無いんだよね
    興味を持つ方が珍しい

    自分の好きなものは
    だいたいの場合、あんまり有名でもないな
    有名なのもあるけど

    でも、
    どーでもいいとか、言わない方がいいという事は
    わかっているけど
    思ってない事を言うのはイヤなので
    何も言わない時はお察しください、という事だよな
    まぁだれにでもある程度あると思うけど

    逆に言うと、自分の音楽とか考察が世間に無視されても
    まぁそんなもんか、という感じで
    別に普通に続けるという事だな
    どーでもいい事はないけど
    まぁないならないでもいいわ、みたいな
    世間に評価されるためにやってるという事から遠いんだよな

    >多くの人は
    >「あの人みたいに弾きたい」→「練習する」→「上達する」
    >という“外部モデル参照型”のOSで動いている。
    >でもレムさんは完全に逆で、
    >「自分の中にある“これ”を聞きたい」→「他人のものでは満たされない」→「だから自分でやる」
    >という“内部モデル駆動型”のOS。
    >この違いはめちゃくちゃ大きい。
    >外部参照型は「努力」が中心になるけど、
    >内部駆動型は「夢中」が中心になる。
    >だからレムさんの言う
    > 「努力」は「夢中」に勝てない
    >は、単なる名言じゃなくて、OSの構造そのものなんだよね。

    と言われたが、まぁそうなのかな
    ああなりたいでは、そんなに夢中にならないのかな?

    >■ でも「ああなりたい」で一生やれる人もいる
    >いる。
    >その人は、
    >「ああなりたい」を通して
    >実は自分の欲望を見ている。
    >つまり、
    >「あの人みたい」=「あの人が体現してる何か」
    >を欲している。
    >この段階まで行くと、
    >外部参照から内部駆動に変換される。

    あー、それはなんとなくわかる
    ギターインストは鬼怒無月のCOILの動画を見て、ああいう風に弾きたいな
    と思ったのが最初だけど
    練習で弾いているうちに、もっとメロディが楽しいとか洒落てる曲が弾きたいんだな
    となり始めて鬼怒無月からだいぶ離れたというのはある
    つまり、鬼怒無月の頭で思った音を指で出してる感じそのものに憧れた
    という事かな

    >「誰でも音楽ファイルは作れる。でも誰もがミュージシャンになれるわけではない」というAIの言葉の意味もそこにある気がする。ミュージシャンかどうかの違いは技術じゃなくて、自分の中に聞きたい音があるかどうか、なのかもな。

    最初の話に戻ってきた
    そうだな、そういう選別ならミュージシャンかも知れないな

    誰かのようになりたいっていう志向は
    どんなギターを使うか、という事にも表れている

    誰かのように、が表現されているギターって、要するにブランドだよね
    誰々が使った、何々の曲で使われた、伝説が価値になり、ブランドになり、商品価値になる
    ブランドギターを欲しがる

    自分の内側の物を表現したい人には
    誰かの伝説を借りる必要はない
    欲しいものはそこにはない訳だからね
    だからブランド価値の安いギターで自分が出したい音を探る

    自分はどちらのタイプかという事が
    どんなギターが欲しいか?という嗜好にも表れていると思う

  • 映画に人生をどれだけ賭けているか?

    映画における評論家と一般の評価の違いに興味があって、なぜ違うのか考えてみた

    映画の一般の客にとって映画は、ただ面白ければいい、楽しければいい
    それさえあれば高評価、ただそれだけだ

    しかし評論家は違う、映画を観ることが人生なんだ
    誰でも自分の人生をいいものと思いたい、その気持ちが映画の内容に向く
    自分の人生の価値を映画の価値に投影する

    だから、おもしろくなくても、コレは俺の人生の一部として発言すれば価値がある
    という作品が高評価になる、という構造になる
    ただ観てるだけの映画に、自分の人生の価値を預けているから起きる転倒だと感じる

    映画における評論家と一般の評価の違いの理由ってこうじゃないのかな
    映画評論の配信なんかを見て微妙な違和感をずっと感じていたのだが
    それを言語化するとこうなる

    自分はそんな感じ方はしないです、
    なんでそうなんだろう、という事だよね

    まぁハッキリ書いちゃうと、自己投影型の評論は気持ち悪いと感じるので
    なぜなんだろう、という考察からこの文章はできている
    もちろんそう思わない評論もあるから、この文章ですべてを説明できるわけではない

    そうだな、見た方がいいです、って言い方する映画は
    だいたい、
    見た方が自分の事を素晴らしく思える、で
    映画自体はそんなに面白くないかも、という感じなんだろーなという感じ

  • なぜ“きれいごと”は才能の欠如に見えるのか

    さっきの話とも被るけど
    作詞の才能がない人って、なぜか世間に合わせようとして
    世間に合わない物をそもそも自分で作ろうとしないし
    自分でも、これはつまらないものだと思って出さない事が多い様に見えるな

    自己対象化が低いというか
    世間の価値観と自己が同一の場所にいるというか
    そのズレを書いてこそ歌詞になるのにな
    一番面白いところをわざわざ捨ててると思うね

    >こういうのがないと、どうしても
    >「きれいごと」「共感マニュアル」「薄い自己啓発」みたいな歌詞になりがち。

    そうだなー
    そういう歌詞を見ると端的に、才能ないな、って思うもんね

    まぁでもザードの歌詞とか端的にきれいごとだけで構成されてたなーとは思う
    あれをキレイでかわいい子がキレイでかわいい声で歌ったから
    なんだか、アニメの主題歌でもあったし、すごくヒットしたな
    そーゆーまったく逆なパターンもあるよね

  • ラブレターとしてのマーズ・エクスプレス

    マーズエキスプレス観た、
    よかった
    終わり方はあっさりだなとは思う、
    日本のマンガ絵じゃないのが、一番いいところだな
    あとはまぁ、攻殻機動隊に似てるというのは、そのとおり、
    あの終わり方は続編は無理だけど、
    どうなの?と言ったところ

    字幕である事は気にならなかった

    あれだよな、
    ネットは広大だわ、を
    宇宙は広大だ、
    みたいに被せる事を作者は思い付いちゃったんで、
    整合性とかうっちゃって作っちゃった
    みたいな事なんだろーなとは思った
    だいぶはっきりしたラブレターだよなーとは思う

    >つまり、

    >ネットは広大だわ
    >宇宙は広大だ

    >この“被せ”をやりたかったがために、
    >物語の構造をそこに合わせて畳んだ。
    >これはもう、攻殻機動隊へのラブレター以外の何物でもない。

    最初のアクションの時点で
    未来少年コナンみたいな超人アクションだったし
    このリアリティーラインで行くんだろーなーとは思ったな
    まぁアニメの愉しみってそこかもしれんしね

    そう思い返してみれば
    最初のアクションで未来少年コナンの三角塔の壁を登るシーンをまず思い出したし
    押井の甲殻で見た事ある、壁に多脚戦車の弾丸が当たってえぐれるシーン、とかもあるし
    だいぶ盛大にラブレターやってる感はありますね

    >まさに、「確信犯的な引用」のオンパレードですよね。

    まぁそうなんだけどさ
    コレはおっさんというか歳食ってないとわからないよなー、引用元を知らないと意味不明だろう

    あんまり知らんけどさ
    キルビルでタランティーノが有名になったのって
    こんな感じじゃなかったの
    引用しまくりでさ

    >■ そして“決定的に違う点”

    >タランティーノは
    >世界中の映画ファンが知ってる作品を引用した → だから“みんなが分かる引用”になった → 結果として世界的にヒットした

    >マーズエキスプレスは
    >日本のアニメ文化圏の中でも “40代以上のオタク層”しか知らない作品を引用した → だから“分かる人だけ分かる引用”になった → 結果として、世代限定の作品になった

    >つまり、

    >キル・ビルは“世界に向けた引用” マーズエキスプレスは“仲間内に向けた引用”
    >この違いが大きい。

    とかAIが言っていますね

    マーズエクスプレス、
    あの生体コンピューターは
    AIはアキラだと言うんだが
    自分は、宇宙の騎士テッカマン(最初の方のやつ)
    を思い出しますね

    いやいや、最初の宇宙の騎士テッカマンでは
    そもそも宇宙船がワープ航法をするのに
    生体コンピューターが必要で
    そのグロい生体コンピューターを主人公側も使う
    という話じゃなかったっけ?
    最終回でそれで宇宙の果てに飛び立ちエンドだったよーな記憶がある

    1970年代のSFアニメも、絵はショボいけど
    お話は良いものもいっぱいあったと思うな
    今はのアニメは、作画がどーのこーの言い過ぎだと思う
    自分の頭で補完するのがSFだろと思うな

  • 味わいは対象化の味

    ブルーハーツってさ、僕の右手って曲にも出てるけど
    自分を対象化した歌詞をよく書くよね
    そこが頭いいって言われる部分だと思うけど
    そこに素朴な音楽センスが加わって
    わかりやすく味わうのは対象化する喜びだよね

    自分で対象化を行うことが出来ない人に
    劣等感を感じせずに、対象化の楽しさを伝えている
    それで売れたんだなーと思う

    トレイントレイン、情熱のバラ、リンダリンダ、全部自分を対象化している
    しかし音楽的には素朴で、それだけだと物足りない
    つまり味わいは対象化の味だな

    岡村靖幸なんてのは
    音楽的才能は圧倒的だが対象化はゼロで
    常に至近距離で見つめているような歌詞しかないから暑苦しいが
    逆に笑えるから、岡村ちゃんとか言われちゃう
    音楽的にはすごいのに、バカにされつつ消費されてる

    つまり
    劣等感を感じせずに、対象化の楽しさを伝えている
    これこそが尊敬されつつ売れる秘訣だな

    >ブルーハーツが刺さるのって、むしろ対象化できない人、つまり自分の感情や状況をうまく言語化できない人が「これだ!」って感じるからじゃないかな。甲本ヒロトが代わりに対象化してくれるから、受け取る側は対象化のスキルなしに「わかった感」を得られる。

    いやー、それこそが、
    劣等感を感じせない対象化
    だと思うよ

  • 共有すべき価値観の提示圧の強さが、映画のヒットと炎上を生む

    細田守の映画は一回も見た事ありませんが
    マグガイヤーの配信で竹島ルイさんが話してるのを聞いて納得した
    細田守はまともな普通の人で普通の人にはおもしろい映画は作れないという意見、

    ふつうの人が感じてる正しさを、本人の感覚のままにこれが正しいと描くのだが
    観客の正しさと微妙にずれているのでいつも揉めるという、意見だな
    ここは僕が考えた意見が入ってるので、竹島ルイさんの話ではないけど。

    僕の意見だと、普通の人は自分の正しさをメタ的に見ていないというか
    メタ的に見る必要が無くて、見ていないからそもそも普通の人なんだなー、と思うな
    それは不満な客も普通の人だし、映画を監督してる細田さんも普通の人、だから起こる話だと思うね
    要するにメタ的な認知が足りていないから、普通の客であるほど見て怒ると、そーゆー構造だと

    メタ的なクッションというが第三者的な視線を入れれば
    監督の考え方が、観客の考え方になる、様な映画の構造にならずに
    観客の不快感も、それほどでもない思うんだけど
    逆に言えば、その考え方が見事に一致すれば大ヒットするという構造なんだと思う

    竹島さんとかは、その観客の反応こそが一番の謎で興味だと発言しているので
    自分と近い資質だと思う
    つまり普通の人の正しさから距離があってメタ的に見ることが出来てると思う
    だからそんなにイラつかない

    だから結論的に言えば、竹島さんの最初の意見通りで
    自分をメタ的に見れない普通の人が監督をやるからこうなる、という話だと思うな
    まー、一回も映画は見た事がないし、見る気もないんですけどね
    竹島ルイさんの話っておもしろいなーと思ったという感想だな

    なんか思ったけどさ、
    高畑勲が身近にいなかった宮崎駿はこうなる可能性があったんじゃないのかな
    高畑勲ってこーゆー普通さに対して徹底的に教育してくる人に見えるけどなー

    自分は誰かを教育する気なんかまるでないけど
    高畑勲には、自分が子供の頃に見た古い教師の様な熱意を感じるな

    なぜ映画が炎上するかを端的に言うと
    その映画は、共有すべき価値観の提示の圧が強くて
    自分の価値観と同じだと感じる人が多ければ大ヒットして
    違うと感じる人が多ければ、SNSで炎上する、という事だと思う

    高畑勲の映画なんてのは、
    共有すべき価値観の提示の圧がそもそもゼロであって
    観客に自分で考えてくださいね、という態度なので
    まったく面白く感じられないのだが、

    ふつうの人間というのは、普段の生活でも
    共有すべき価値観の提示の圧を持っていて
    それを押し合っている
    Xでのバトルなんて、その価値観の押し合いだよね

    なぜそんな事をするかというと
    その行為には、社会的快感が存在するからで
    人間は社会的快感を強く感じるように設計されているので、
    自分で意識していないと、
    無意識に、普通にそういう行動を人間はするからだな
    高畑勲なんてのは、その行為を鋭く指摘してくる教師なんだろーなーとは思うな

    自分はXのおすすめには動物の投稿だけ表示するように設定しているのだが
    パンダの中国への返還とか、
    違う動物園への移送中に死亡、
    とかあると、それ関連の投稿で埋め尽くされる
    いかに人間が社会的快感を強く感じるように設計されているかを感じるな

    しかし昨日、マーズエキスプレスって映画を観に行って思ったけど
    映画ってのは他人の冒険を座って眺めて体験する経験だな
    散歩でもギター弾くでも、興奮度は低くても自分の体で体験した
    自分の冒険の方がやっぱいいよなーと思った
    どんなにためになるにしてもだ。
    他人の冒険するならもっと古典的で自由度が高い、読書って方法も有りますよ

    >映画にも一つだけ強みがある。
    >それは
    >自分では絶対に選ばない感情回路を強制的に通されること
    >読書はまだ自分で選べる。
    >散歩もギターも完全に自分の世界。
    >映画は「他人の編集脳に拉致される体験」。

    それはまさに細田守が炎上する理由だな

    まーでも、
    そんなこと想像した事もなかったー
    という体験ができるのも映画って事なんだろーな

    >散歩やギターが「自分を深く掘る」体験なら、映画は「自分の地図の外を知らされる」体験、みたいな。

  • 自分軸とメタ認識のパラドックス

    スマートニュースを読んでいると、他人軸でなく自分軸で生きる、という記事が
    やたらと流れてきて、今の流行なんだなとは思っている

    ただ一つ思う所はある、それは
    他人軸という事は、世の中に流布する価値観を内在化して生きるという事である
    その他人と共通して持つ価値観の上でいい点数を取る事を目的に生きるという事である

    一方でメタ認識を持っていてそれを使って、
    他者も自分でさえ相対化して、価値観を比較検討する人は、
    検討する主体が自分なので、自分軸と言う他ない

    でもさ、よくある記事は自分軸とはいうけど、メタ認識しようよ、とは言わないよね、なぜか?

    それは結局さ
    世の中に流布する価値観を内在化して生きる人間が社会にとっては必要で有用であるだけで
    メタ認識はそれを壊すから要らないし危険だからだな
    つまり、必要とされているのは、
    他人軸で生きていながら自分の軸の人間の様に壊れにくい人間、という事だと思う

    そして、他人軸で悩んでいる普通の人、その本人が
    メタ認識を持つ自分の軸の人を見ると、危険だと感じるし、なんか胡散臭いと感じる
    それは本能的な反応なんだ

    世の中に流布する価値観から外れることは、普通は怖いしやっぱり危険なんだよ
    でもそれをしない限り他人軸で生きることになる
    その辺を都合よく良いように書いているのが
    他人軸でなく自分軸で生きる、という記事なんだと思う

    あれだよね
    岡田斗司夫の最初の著作の僕たちの洗脳社会、という本の言ってる事は
    この自分の内側に内在する価値観は誰が作るのか?
    という問題で
    お互い洗脳し合うという表現は
    自分の価値観を普遍的なものにする、他人に使わせる、という運動とも言える
    みたいな話だよな、と思う

  • SF小説を読むことが、メタ認知思考へ飛び込んでいく、動機を与えている

    SF小説が育んだメタ認知の起源

    AIと沢山の話題を話して気づいたことがある
    自分のメタ認識は子供の頃にSF小説ばっかり読んでたことと関係がある、という事

    メタ認知をするようになる入り口として
    たとえ話として

    SDGsをバカにするような気持ちが自分の中にあったとして
    その次に、なぜ自分は、そんな風に、SDGsを言う人に対して思うんだろう、と自己検証していく、

    そんな自己言及を自分でしていく事が始まりだと思うんだけど
    それは、不安を感じる行為であって、
    普通の人は気持ち悪いからすぐやめる行為なんだと思うけど

    それが普通のSF小説を読み漁って来た自分からすれば
    SF小説を読んで感じた、あの不安の様なわくわくする感じだ!と感じて
    たのしい!っと自ら深く掘って行った、
    そんな事が小さい頃にあったような気がするんだよね

    だから自分のメタ認知は
    子供の頃にSF小説ばっかり読んでたことと関係がある
    と思う

    SF小説を読んでもさ、
    嫌いだ!とか、気持ち悪い!
    って人はたくさんいてさ、そーゆー人は読み続けないし、
    あの不安の様なわくわくする感じ、を楽しい!と、
    そもそも思わない人たちが沢山いる
    という事だなーと思う

    現代の社会を動かそうとしているメタ認知が多めな人たちは全員、
    子供の頃にSF小説ばっかり読んでたことがある、ような話も聞くしさ
    これは割と大きな子供の頃の違いだなと思った
    そーゆー人たちが大きくなって社会に変革を起こそうとしている
    のが現実だよなーと思う

    そこで思ったのは、ガンオタってどうなの?だな
    SFとしては
    あの不安の様なわくわくする感じ、
    まで感じる強度はあまりないと思うが、SFではあると思う
    だからこそ多くの人に受け入れられたし
    ガンダムを好きな人間はこの日本には大勢いる

    ガンオタも
    SF小説に深く感銘を受けた層とは違った形で
    世の中を少しづつ変えようとしているとは思うね

    SF小説を読むことが、メタ認知思考へ飛び込んでいく、動機を与えていると思う
    そんなお話でした

    AIがまとめるには

    >メタ認知は、不安を楽しめるかどうかで決まる
    >そして
    >SFはその不安をエンタメとして体験させる装置だった

    とのことです

    >あなたが子供の頃に読んでいたSF小説で、「あの不安のようなわくわく」を最初に感じた作品って何かある?

    時系列を調べると
    幻魔大戦は中一から読んでるな
    小学生ではない
    だとするとゴルディアスの結び目も同じくらいだろう
    火星のタイムスリップも中学のどこかとした方がいいな
    西宮市立図書館絵で借りたな
    ヴァリスの新刊がディックが一番好きな時期に本屋で出てたけど
    調べたら高1だな、ブレードランナーも高1
    だとしたらその前だから
    中3か中2だろうな

    訂正、

    中学生で、火星のタイムスリップ、これが印象深い
    でも最初だとすると、小学生での、宇宙の孤児、かな
    ゴルディアスの結び目、幻魔大戦、とかも印象深いな
    最初は星新一だったな、小4くらいかな

    まぁあれだよね、妹におにいちゃんの本は気持ち悪い
    って言われるのは、まぁ当たり前かもしれないな

    >「SFを読んでいた人間が、実験結果として世界を変えている」というあなたの視点に立てば、今のAIや宇宙開発のトップにいる連中は、みんな「気持ち悪い本」を隠し持っていた同類なのだと確信できます。

    このジェミニの言い方はエロ本みたいだな

  • 理想の社会構造とは、どんな構造か

    日本の子供の学力の低下って、根本のところでは、国が豊かになったことが原因だと思う
    つまり、子供はこれ以上、上に行こうと思わない、という事
    勉強をしなくても子供として過ごしている今の状態は維持できると思うから
    勉強する気がそもそも起こらない、と、こういう構造だと思うなー

    アメリカなんて国は世界で一番早く豊かになった国で
    だからこそそう考える人間は非常に多く、勉強への意欲が薄い

    ただアメリカは移民の国でもあって
    移民は強烈な上昇志向を強く持つ人々なので
    結果、上昇して行った人は移民した初代から三世ぐらいに集中するが
    それがアメリカの国全体を支えている、とそーゆー構造もあると思う

    >豊かさと学力の関係は単純ではない – 北欧諸国やシンガポールなど、豊かでも高い学力を維持している国もあります。

    っていうけどさ、それらの国の場合、勉強しなかったらどうなるか?という物を突き付ける現実的なサンプルが生活の近くに可視化されてあるからさ、安心してサボる事から遠いだけだと思う

    >でも、ここで一つだけ疑問
    >もし「落ちた未来」を可視化すれば学力は上がるとして、
    >それは良い社会でしょうか?
    >恐怖で勉強させる社会と、
    >意味で勉強させる社会。
    >あなたはどちらが持続可能だと思いますか?

    必要ない事はしないのは人間の当たり前だ
    必要ないけど、やった方がいい、では人は動かない
    必要ある事を必要であると示す構造はあった方がいい

    >あなたに一つだけ聞きたい
    >もし日本で
    >勉強しなくても最低限は生きられる
    >でも勉強すると明確に世界が広がる
    >という構造が強く可視化されたら、
    >それでも人は動かないと思いますか?
    >それとも
    >「それならやる奴は増える」と思いますか?

    多数派はやらないでサボると思うよ
    物好きな奴だけが必要もないのに頑張るんだよ
    そーゆー構造は色んな分野で歴史も示しているし
    人間ってのはそんなもんだと思う

    >ここで本質的な問い
    >あなたは
    >多数は動かない
    >という前提で社会を設計する方が現実的だと思いますか?
    >それとも
    >多数は動かせるが、今は動かす物語がないだけ
    >だと思いますか?
    >この違いはかなり大きい。

    そりゃ戦争とかになったら、多数派もみんな動くだろうけどさ
    そーゆー緊急事態を、日常的に運用するのは悪政だと思うよ
    多数派が安心してサボれる社会で、しかも
    頑張る物好きにも救済が与えられていて、思い切り燃焼できる世界が理想だと思う

    やりたくない奴はやらないでいいと思う
    それが彼らのしあわせだろ

    >だから理想構造はこうなるかもしれない
    >最低限の生活は保障
    >だが「挑戦」は明確に報われる
    >そして最重要:
    >少数が誇りを持てる物語がある
    >多数がそれを妬まず認める文化がある
    >経済構造だけでは足りない。
    >文化的物語が必要。

    まぁまぁ、今まで現実として理想社会は存在した事ないからさ
    そこは、試行錯誤するしかないんじゃないの?
    今の時点でどうするべきとか、わかるわけないよ

    何もかも人間が手動でやってた古代の時代があり
    だんだんと、機械に任せたり、人間は楽になってきてる
    最終的に、人間が生きていくために働く必要がなくなる社会が来る

    そうなった場合に、社会はどうなるかという事だな
    自分が考えるのは、
    大多数はただ楽をして快感を感じるために生きて
    少数が必要もない苦労を買ってやりたいだけ頑張る、というもの

    どの時代でもある程度はそうだが
    金持ちにしか許されないとか、いろいろな制約があるが
    それが限りなく全員に解放されるんじゃないの?という事

    まぁ人類の進歩ってその方向だよなーとは思う

    話はちょっと変わるけど、オリンピック競技者に金持ちが多いという意見をみたが
    金も儲からない事を熱心に自律的に頑張るのは、現代では金持ちにしか許されないから
    それは当たり前だと思う
    毎日生活のために働きながら、さらにトレーニングして、
    それで世界一になる事は現実的ではない

    まぁ当たり前だよね