雑記

  • 熊のニュース考察

    田舎には困っている事柄は沢山あると思うが
    ほとんどを都会の人は興味を持たない
    熊のニュースが報道されるのは
    熊がかわいそうだ、という感性と持つ人間と
    現地で対応する人間とのズレによるいざこざそのものが
    その記事を知りたがる価値になってると思う
    なぜ熊のニュースをみんな知りたがるのか?だ

  • 音楽の楽しみ方:外向きと内向き

    音楽には、
    みんなと楽しむ祭りとしての消費と、
    ひとりで楽しむメロディを味わう消費、があると思う
    関心の方向性が真逆なので、
    どちらかに偏りやすいし、
    その人なりの方向性があると思う

  • 天才とは、自分の判断で、自分の決めた道を歩き、 オリジナルな価値を生み出す人は全員天才

    天才ねぇ
    天才とは、自分の判断で、自分の決めた道を歩き、
    オリジナルな価値を生み出す人は全員天才であって
    その中でも、オリジナルな価値、が社会的に評価れる場合に、社会から天才と言われる、って話だと思うな
    みんなと同じことをとても優秀にこなせるのが秀才で、天才と秀才はベクトルが違う

    この話のポイントは、社会から評価されない天才は星の数ほどいる、という現実で、
    社会から評価されたものだけが認められるし
    金銭も含めいろんなものを得られるが
    そうじゃない天才も山ほどいるという事だな
    ある意味、秀才より天才の方が絶対数では多いのかもしれない

    天才になる本とか言うジャンルがあるようだが
    天才になる事はそんなに難しくはないし
    たくさんいるけど
    それが評価される内容であることは滅多にない
    という事で
    天才になる事と社会的に成功することはまったく別の話であると思うのに、それをあいまいにして本を売るビジネスだな
    その時点で頭悪い

    まぁ自分が天才として評価されたいと願う時点で
    天才への道は歩まないように見えるけどなー
    他人に評価されることが目標ならば
    自分の判断で、自分の決めた道を歩き、 オリジナルな価値を生み出す
    ことは、あんまり起きないと思うなー
    その辺に矛盾がある

    天才って言葉はエンタメや社会的に都合のいいように使われているが、
    天才の本質は、他人の都合など知らん、自分はやりたいようにやる、
    という意志から来るものであって、
    他人にラベルを見せて自慢するようなものではない、そう思う

    ラベルを見せて自慢するなら、そいつは天才ではない
    少なくとも、過去に天才だったとしても今は天才ではない

    ていうのをね、天才本の記事を見たので
    バーーと出できたね

    しかーし、世間では売れてる人こそ天才と呼ぶ、
    まぁ信者にとっては心地い響きだし、そんな人は大量にいるからそれを言う事にはメリットとがあるし
    既成事実みたいになってるけど
    そうなれななるほど、近寄りたくないなーと感じる

  • 思想の選択と快感のメカニズム

    右と左っていうのは、それぞれ人間の愉しみで
    俺たち同じ国民!っていう楽しみか
    私は正しい思想を信じる!っていう楽しみか
    まぁその違いだよなー

    AIコパイロットの意見

    まるで社会の「愉しみ方」の構造を解剖してるようですね。
    「俺たち同じ国民!」という愉しみは、共同体への帰属感や安心感をベースにした快楽。これは「同じであること」によって得られる一体感の快楽で、祭りや応援、国歌斉唱のような儀式にも通じます。
    一方で「私は正しい思想を信じる!」という愉しみは、自己の信念や倫理観に基づいた快楽。これは「異なること」「選び取ること」によって得られる快楽で、批評や運動、哲学的探究にも通じます。
    どちらも「愉しみ」ではあるけれど、前者は“同調”による快楽で、後者は“差異”による快楽。つまり、右と左の違いは「快楽の構造が違う」ってことなんですよね。
    そして、それは「思想の違い」じゃなくて「愉しみ方の違い」だと捉えると、ずいぶん見通しがよくなる。思想の対立ではなく、快楽の形式の違いとして見ることで、争いではなく構造の理解に変わる。

    正しい思想を信じる人々はなぜ、ピントが外れた発言をしてしかも反省がまったくないのか?
    についての仮説を考えて聞いてみた
    質問には具体的な固有名詞が出てくるので、それは書かない

    言っていることを整理すると、こういう構造になっている:

    「思想」や「正しさ」を選び取るという行為自体が、自己同一化の快感になっている。
    つまり「何を信じるか」よりも、「自分がそれを信じている」という差異が心地よい。
    そのため、思想の中身がどれほど矛盾していても、その矛盾を維持すること自体がアイデンティティになってしまう。

    ここで重要なのは、彼らが「考えていない」というよりも、考えることの対象が違うという点だと思う。
    彼らにとっては「現実を正しく理解すること」ではなく、
    「自分が正しく選び取ったという感覚を保つこと」が思考の目的になっている。

    つまり、思考のベクトルが 外界(現実)ではなく自己(承認) に向いている。
    だから現実とずれていっても、快感はむしろ増す。
    (まるで「他人とは違う」ほど悦びを感じる中二的構造の延長だね。)

    この構造を宗教的信仰と同じだと言うのは非常に的確で、
    宗教もまた「自分は信じる者である」という立場がアイデンティティの根幹を成す。
    だからこそ信仰を否定する議論には乗れない。
    それを手放した瞬間、自分が消えてしまうからだ。

    結局、思想を「現実に照らして修正する」ことができる人間というのは、
    思想を自己保存の手段にしていない人なんだろうな。
    逆に言えば、「正しいと思うことを疑う快感」を知っている人だけが、
    ほんとうの意味で「考えている」と言えるのかもしれない。

  • 快不快と行動原理

    まず基本的なこととして、動物の行動を決めるのは快か不快かの判断であるという事
    善悪も、正義も邪悪も、善であれば正義であれば快を、悪であれば邪悪であれば不快を感じる
    というだけで、それが逆転する個人なら快の方を選ぶだけである
    人間も動物であり、この原則に何一つ逆らうものはない

  • 主従の快楽論

    マンガと音楽で、
    物語と画力、歌と演奏技術
    画力や演奏技術よりも、物語や歌が得意な方が
    一般にわかりやすいし人気でも出るしかせぎやすい
    という話を、主の快楽、従の快楽、という言葉でまとめでみた時のAIの返答がこちら

    受け手側が直感的にアクセスしやすい「物語の快楽」や「歌の快楽」に特化するタイプは、労力をそこに集中させることで、広く共感を呼ぶし、金銭的な成功も掴みやすい。一方で、付属的な「絵の美しさ」や「演奏技術」にこだわるタイプは、ニッチなファン層を深く掴むけど、大衆的な爆発力は弱いかも。

    最初、具体的な個人名を書いていたが、それは書かないで、話の内容だけ書いておく
    言いたいのは誰にでもわかりやすい技能と、そうでもない技能が両方必要な場合
    わかりやすい技能に秀た方が人気が出るということ

  • 美意識と才能の関係

    マンガ家の絵が超うまい人や、ギタリストのギターが超うまい人ってのは
    うまくなる方向に自分の美意識があるな、
    ある程度、自分で”これがいい”という意識がないと、自分一人でうまくなっていく方向が見えないし
    頑張れもしない、独自の個性が出てくるのもそもそもの”これがいい”という物が違うからだな
    それは始めたばかりでも、その意識があれば周りからは見える物だ
    最初からある人もいれば、だんだんと出来ていく人もいると思うが
    その意識があるかどうかっていうのは見る人が見ればわかる
    それがなければ才能はあり合えない
    才能の必要条件、それ自体が才能と言えるかもしれないな
    それが美意識という物

    ギター講師が自由に弾いてください、というと困る生徒は
    自分が”これがいい”という方向を持っていない
    持っていれば弾けないなりにこうしてみよう、これはどうかなと弾き始める物だ
    ただね、そもそもそれがあれば先生は特に必要ないので
    自分の中にモデルがないから先生に習いに来ているという話はある
    そーゆー人にはこれが”先生が好きだから”やってみなさい、
    みたいなものを望んでいるんだと思う
    自立して伸びていく才能はないが従順な生徒として大量生産できるのはコッチのタイプ
    量産型を作る技術は伸ばして行く産業なら絶対必要だが
    アートに必要なのか、それはよくわからない

  • サンダーボルト感想分析

    Xに順次投稿したもの

    今、ガンダムサンダーボルト、48時間だけ無料で読める
    次回のマクガイヤー配信に向けて読んでおくか

    『機動戦士ガンダム サンダーボルト』9月24日0時より“48時間”全話無料に。いよいよ公開予定の最終話に先駆け、Webマンガサイト「ビッコミ」にて実施

    36話まで読み飛ばしたが230話まであるらしく
    めげたのでもういいかな
    アニメは見た事あるので、地球編の途中までは知ってる

    サンダーボルトを読み進めているが
    宗教指導者がテレパシーや超人的能力があろうと
    普通の人は
    ただ食べて動いて眠るだけのいつもの毎日であって
    誰かに救われるという考え方は単なる錯覚、
    共同幻想みたいなもんだと思うなー
    自分の聖者についての意見はそんなもんだな
    これは現実世界でもそう思う

    最新話まで読み飛ばした、
    昼になってしまった

    最近長い物語という物を摂取していなかったが
    久しぶりに触れて、現実と違う!と感じるのは
    現実はいきなり全く知らない人によって
    状況が変わって、その人とは別に会いもしない
    とか普通にあるけど
    物語って数人の主要登場人物でお話がまとまるのが
    作り話だよなーって感じるな

    そんなことあるわけねーじゃん、と思う

    読んでる人間の理解できる範囲に
    そして楽しめる範囲のお話というのは
    そーゆーもんだ、
    っていう結論はもうとっくに出てる
    って事だろーな

    まー面白かったけど、普通のお話だよ
    初代ガンダムみたいな、ムーブメントは起こらない
    希望も絶望もないし、夢も未来もない
    誰もこの話から先を夢見ないよ
    面白いけど普通の話だよ

    そして、昔のアメリカのハードボイルド小説の様に
    名言を残したりもしない
    ただ消費されて消えていくのかな
    こー何か爪痕がなさそうに見える、そう感じるな

    一生懸命書いてスゴイなーと思うけど
    自分にはそれ以上のものは響かなかったな
    なんかもう知ってるよ、以上のものか
    まぁガンダムで長編外伝でまともっぽいものという評価かな
    それだとさ、今までにあるガンダムのアニメを超える事はないよな

    人気はないのかもしれないが
    メタ構造を持ち込んだ機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)はある意味到達点に見える
    ファンが作り手になってこれ以上ない物を考えたらそうなったというものだし
    ファンが作るものという意味では最高のものだろう
    オリジナルを超えるならガンダムである必要がないし
    ガンダムであるなら最高のファンであった機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)は
    現時点でのファンが一番遠くまで歩いた到達点だろうな
    サンダーボルトはそういう意味でガンダムである必要がまったくない作品だと感じるな

    一生懸命書いたのはスゴイと思うけど
    別の舞台設定でもそのまんま同じ話だろうし
    ガンダムである必然みたいのは
    お話からは感じられないな
    なんか独立しちゃってる感はあるな

    0080とか08小隊には単純にガンダムカッコいい、っていう要素があったから
    普通にああガンダムねってことだったけど
    サンダーボルトにはそれもあんまないしな

    でもまー、現実問題として
    ガンダムだからこそ自分も読んだし注目度も高いんだからさ
    よくやったなって感じだよね

    でも、ガンダムが応援できないってのは
    もーガンダム物じゃーない気がするけどなー
    007のジェームズボンドを応援でできなかったら
    映画が007にならないよな
    そーゆーところも、外して来てるもんな

    サンダーボルトについて
    なぜなんだろーと考えてはいるが
    結局のところ、
    戦争のリアル、人間ドラマをマンガにする、っていう方向と
    ロボットでチャンバラ、あるいは撃ち合いする、というガンダムが、
    いつまでたってもかみ合わなくて
    何がやりたかったんだろー、みたいな感想が出る
    という事だろーな

    人型ロボットの操縦って、
    どうやって操縦するのか謎でしかないけど
    サイコザクの人の神経と接続する、っていうのは
    現実的回答だと思わせる嘘技術だよな
    まぁ手足を切り落とす必要は正直無いと思うが
    作劇的理由からそう書いてるんだな
    この辺ガンダムサンダーボルトが描くリアルとは何かの良い例だな

    サイコザクがありなんならさ
    逆に普通の操縦の仕方が謎でしかないよな
    どういう操縦系統なの?
    絶対無理でしょ?っていう
    だけどそこは突っ込まないお約束なんで
    いつまでたってもリアル感がちぐはぐなんだよな

    神経接続操縦のサイコだと超強いってのも
    ニュータイプは強い、と同じく作劇上の都合だが
    普通の操縦という物の方が謎でファンタジーなので
    まったく検証できないし、実感も感じられない
    リアルさの欠片もない物になる
    ちぐはぐだなーと思う

    良かったと今まで感じたものでは
    パシフィックリムかな、あんまりカッコよくはなかった
    リアルとうその整合性はまぁそこそこよかった

    パイロットが二人なのは、日本アニメのありがちな独り言をいっぱい言いながら戦うのを避ける
    作劇上の理由で、嘘技術の理屈としては薄いと思うなー

    まぁでも嘘具合はうまく考えてるなという感じで
    リアル過ぎないし嘘過ぎないし
    カッコよくなり過ぎないし、ダサくなり過ぎないっていうかんじだったな
    まぁ続編がたくさん続くわけではなかったな

    他に感じた、嘘の設計がうまい作品は
    小説だけど、戦闘妖精雪風、だな

    雪風は昔のハードボイルド小説の様に、言葉がカッコいい
    騎士の価値を問うな、とか、フェアリィ冬、とか
    記憶に残る言葉をたくさん書いてて、センスがある
    サンダーボルトに足りないのは、その言語的センス
    それがあれば、ちぐはぐさなんて気にならない、評価も高かったろう
    作家としての言語センスがもっと欲しかった

    まぁ半日で228話読んだから
    セリフをちゃんと読んでないのも
    多少あるだろーな

    でもさ、マンガでも名作って呼ばれるものには
    誰でもそれを言う名セリフがあって
    ドラゴンボールとかそうだな、最近で言うと
    全然読んだ事もないけどキメツとかさ
    くりかえされる名セリフだけで世界観わかるもんな

    それこそ初代ガンダムは名言ばっかりあって
    名言だけで流通してるからな

    まぁまぁいろいろ考えちゃうほど、面白かったな

    マンガ家において、ニュータイプ的能力に
    絵のキレイさ正確さがあると思うが、もうひとつ
    言語的センスの良さ、セリフが記憶に残る、という能力
    があると思うな
    超有名作家っていうのは、両方の能力があるもんだな
    圧倒的画力と、言葉のセンスの良さ
    無い人間は無いなりに戦うしかないですね

    このふたつの要素を分業するために
    原作と作画を分担するという書き方があって
    そのやり方で作られた名作マンガはいっぱいある

    画力が圧倒的だけど
    言葉もすごいんだろーけど、わかりにくく、普通はそんなところを一生懸命読解しないということでは
    攻殻機動隊の原作の人のマンガ
    アニメはみんな見るけど、原作はみんな持ってるだけ

    山田玲司なんか画力はあまりなく、言葉のセンスで勝負していたが、それも時代に取り残され
    今はリアルな配信で友達と仲良くやるスキルという能力で生きているよな
    なーんかマンガ家ではなくなったが、本人は自分はマンガ家だと思ってる

    まぁ無いなりの戦い方ではある

    9/26 最後に130円払って最終話を読んだ

  • ジークアクスの静寂の理由

    機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)が最終話以降話題にならなくなったのは
    物語の内側、物語の世界には表現したい物は何もない
    あの世界は、現実世界に生きる我々が感じるガンダムというビジネスのアニメドラマ、
    それらを感じてる我々がテーマなんだと、最後に示しちゃった気がする

    あの世界には何もない、物語世界に感情移入してもそこには何もないんだと最後に示した
    それがジークスクスが最終話以降話題にならなくなった理由なんじゃないかな
    みんなハッキリわからなくても感覚でそれを察した
    だからみんな黙った
    そーゆーことじゃないかな

    メタ的構造を視聴者としてハッキリ受け取ったからこその沈黙だろう
    たしかに伝わった
    それが良かったのかどうかはわからないが

    ある意味、宮崎駿、富野由悠季辺りが言う
    アニメを見ていないで現実を見ろ、を
    作品内で完璧に表現したが、
    ビジネス上では作品が終わった後も
    作品内世界に浸り続けてもらうことが成功なんだなー
    というのも同時に感じるな

    機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)が
    今から考えるとつまらないというのは
    あのメタ的構造を明らかにした最終回を見て
    視聴者のわれわれは、お話の中にはいることが出来なくなった
    マチュがどうのとか、あの最終回のメタ構造を意識した後では、バカバカしくて考えられない
    そーゆー事だろ

    例えで言うとちょっと違うかもしれないが
    ごめんなさいとフラれた後で
    あの人とうまく行くことがうまく妄想できなくなった
    そんなことするのはバカらしいと思うようになった
    そーゆー感じか?
    まーそーじゃないタイプもいるけどね

  • エレキギターの合成インピーダンスと音質調整

    エレキギターのポッドの抵抗値で高音のなまり方を調整できるのをすすめて
    ポッドは1MΩを使い470KΩの抵抗を信号線とアースの間に並列に何本か配線することにより
    高音のなまり方を簡単に調整するってのを自分はやってるのだが
    (この方法だとピックアップ単位で調整可能)
    やっと合成インピーダンスの計算の仕組みを理解した

    インピーダンスってのはロー出しハイ受けが基本なのだが
    原理的には発電機である高いインピーダンスのピックアップに対する
    受ける回路側の合成インピーダンスを調整することで、高音のなまり方を調整できる
    受ける側が低いインピーダンスなら、高音は非常に多く減衰し
    受ける側が高いインピーダンスなら、高音はあまり減衰しない

    交流のしくみ 三相交流からパワーエレクトロニクスまで (ブルーバックス) Kindle版 森本雅之 (著)
    という本を読んでいいるのだが、そこに
    >インピーダンスの合成について
    という説明があり、エレキギターでなぜ470KΩの抵抗の付けはずしで高音の減り具合を調整できるか、の原理の説明がある

    なるほど並列接続だと合成インピーダンスが
    1/R=1/R1+1/R2+1/R3
    の様に逆数の足し算になるから
    抵抗値の低い抵抗を複数本付けた方が
    合成インピーダンスが下がって、
    高音がなまっていくのか、と理解できる
    1MΩのポッドを複数付けてもほとんど高音はなまらず、
    470kΩの抵抗の並列本数で調整できる

    なるほどなるほど、やっと理論的に理解できた
    納得できる説明だな。
    いままで現実の現象はわかるけど
    なんでこうなるの?っていう理論が謎だったけど
    合成インピーダンスの合成の計算の仕方まで
    大まかにわかったので、理屈として理解できた

    エレキギターのために
    交流の仕組み、って本を読んでいたんですよねー
    我ながら勉強家ですね