哲学的な幸福論と音楽

なんか寂しさを感じないから仕事と結婚したんだ、とか言う記事を見たけど
寂しさは感じないものの
金を稼げる仕事は全くしてないので
仕事と結婚した、と言う訳でもないなーと思う
しかしほんとにまったく感じないね

いろいろ想像してみるに
まず自分が満足する他人という物が
うまく想像できないな
まぁいいなーと遠目で見る人はいることはいるが
恋愛感情はないし、既婚者なのは確実だな
その事から推測するに、見た目のポイントより
立ち振る舞いとか、有能さとか、謙虚さ、みたいなものを兼ね備えてる人がいい様だ

そんなの絶対無理だろー、と思うなー
まーそう見えるだけだという現実ではあるが

なんか昔好きだった人の事はまとめてどうでも良くて
必要な時に使うだけだ的な事だよな
多分すごく今の自分にとってはどうでもいい

ひろゆきが語る記事で、最終的には孤独死とかいうけどさ
死ぬときに時に横に誰かいて欲しいとか、
別にないけどなー
死ぬことに変わりない訳で
結局は寂しいから嫌だっていうだけの理屈で
それは無い訳だからな

なんかすごく恵まれた人じゃないと
寂しいはずだ、みたいな記事だったけど
ん-、別にそんな事ないけどなーと思う

「じゃあ自分は何で満足してるのか」
「快感の正体はどこにあるのか」

と言うと単純で
ギターに散歩に料理で満足してるし
自分にとってこれ以上の物は無いと思ってる
それは誰か女性も含む、という事だな

そうじゃなかったら
こんなに毎日熱心にやってないと思うよ

しあわせに生きるとはどういうことかと
考え続けた結果こうなったという事だな
ぼんやり生きていて、自然にこうはならないよ
これは自覚的な行動なんだよな

条件的に恵まれる事よりも
考え続けることで幸福感は得られる
自分の主張は、まぁそんな所にあると思うけど
それもまぁほとんどの人にはできないし、やらないね

哲学っていうのは、
どういう事が自分を幸せにするんだろうと考え続けることで
今残ってる哲学って、それぞれが自分の幸せを考え続けた過程なんじゃないのか
とかも思うんだけど
最後は知らんが、最初の動機はコレだとおもうなー

自分が歴史を見て思うのは
あんまり周りに言いふらすと、本人は不幸になる、という事
これはわりと普遍的だと思う

まぁ、別に隠すつもりはないが
他人のために提供するとか、
サービスするつもりはそもそも自分にはないし
そーゆータイプの人間ではないな

ん-、まー、
自分の音楽もそんな感じで
世の人々の快楽として消費できないもののようで
まったく売れないですねー
まぁしょうがないかな、という気持ちですね
ま、サービスするつもりないし、
そりゃそうかー、と言う気持ちもあります

なんだかいつもように
最後は自分の音楽の話になったな