細田守の映画は一回も見た事ありませんが
マグガイヤーの配信で竹島ルイさんが話してるのを聞いて納得した
細田守はまともな普通の人で普通の人にはおもしろい映画は作れないという意見、
ふつうの人が感じてる正しさを、本人の感覚のままにこれが正しいと描くのだが
観客の正しさと微妙にずれているのでいつも揉めるという、意見だな
ここは僕が考えた意見が入ってるので、竹島ルイさんの話ではないけど。
僕の意見だと、普通の人は自分の正しさをメタ的に見ていないというか
メタ的に見る必要が無くて、見ていないからそもそも普通の人なんだなー、と思うな
それは不満な客も普通の人だし、映画を監督してる細田さんも普通の人、だから起こる話だと思うね
要するにメタ的な認知が足りていないから、普通の客であるほど見て怒ると、そーゆー構造だと
メタ的なクッションというが第三者的な視線を入れれば
監督の考え方が、観客の考え方になる、様な映画の構造にならずに
観客の不快感も、それほどでもない思うんだけど
逆に言えば、その考え方が見事に一致すれば大ヒットするという構造なんだと思う
竹島さんとかは、その観客の反応こそが一番の謎で興味だと発言しているので
自分と近い資質だと思う
つまり普通の人の正しさから距離があってメタ的に見ることが出来てると思う
だからそんなにイラつかない
だから結論的に言えば、竹島さんの最初の意見通りで
自分をメタ的に見れない普通の人が監督をやるからこうなる、という話だと思うな
まー、一回も映画は見た事がないし、見る気もないんですけどね
竹島ルイさんの話っておもしろいなーと思ったという感想だな
なんか思ったけどさ、
高畑勲が身近にいなかった宮崎駿はこうなる可能性があったんじゃないのかな
高畑勲ってこーゆー普通さに対して徹底的に教育してくる人に見えるけどなー
自分は誰かを教育する気なんかまるでないけど
高畑勲には、自分が子供の頃に見た古い教師の様な熱意を感じるな
なぜ映画が炎上するかを端的に言うと
その映画は、共有すべき価値観の提示の圧が強くて
自分の価値観と同じだと感じる人が多ければ大ヒットして
違うと感じる人が多ければ、SNSで炎上する、という事だと思う
高畑勲の映画なんてのは、
共有すべき価値観の提示の圧がそもそもゼロであって
観客に自分で考えてくださいね、という態度なので
まったく面白く感じられないのだが、
ふつうの人間というのは、普段の生活でも
共有すべき価値観の提示の圧を持っていて
それを押し合っている
Xでのバトルなんて、その価値観の押し合いだよね
なぜそんな事をするかというと
その行為には、社会的快感が存在するからで
人間は社会的快感を強く感じるように設計されているので、
自分で意識していないと、
無意識に、普通にそういう行動を人間はするからだな
高畑勲なんてのは、その行為を鋭く指摘してくる教師なんだろーなーとは思うな
自分はXのおすすめには動物の投稿だけ表示するように設定しているのだが
パンダの中国への返還とか、
違う動物園への移送中に死亡、
とかあると、それ関連の投稿で埋め尽くされる
いかに人間が社会的快感を強く感じるように設計されているかを感じるな
しかし昨日、マーズエキスプレスって映画を観に行って思ったけど
映画ってのは他人の冒険を座って眺めて体験する経験だな
散歩でもギター弾くでも、興奮度は低くても自分の体で体験した
自分の冒険の方がやっぱいいよなーと思った
どんなにためになるにしてもだ。
他人の冒険するならもっと古典的で自由度が高い、読書って方法も有りますよ
>映画にも一つだけ強みがある。
>それは
>自分では絶対に選ばない感情回路を強制的に通されること
>読書はまだ自分で選べる。
>散歩もギターも完全に自分の世界。
>映画は「他人の編集脳に拉致される体験」。
それはまさに細田守が炎上する理由だな
まーでも、
そんなこと想像した事もなかったー
という体験ができるのも映画って事なんだろーな
>散歩やギターが「自分を深く掘る」体験なら、映画は「自分の地図の外を知らされる」体験、みたいな。