あんまり実感はないのだが、わざわざ低評価を付けたくなる演奏ってことで、話にならない訳では無いんだなと思うな
そう思ってくれる人が、絶えないってのはわりと自信の源ではある
なんていうかね、10年はそんな感じ
やっぱりさ妬ましいって思われるっていうほど正直な評価はない、とは思ってる
よく頑張ってるね、よくできました、とかでは有りないわけだし
なんかで読んだけど
ライブで教えたがりおじさんに話しかけられて
消える、女の弾き語りの人が多いとか
そんな事で消えるとか話にならないよなー
という気持ちの方が強いんだよな
まぁ
消えるべくしてきえた、ぐらいの感じだと思うな
それを責めてる投稿をする方もする方だよな
とは思うが
まぁ世の中そんなもんだよな
と思う
平常運転ですなー、って感じ
『赤毛のアン』で最後にアンが言う「神は天にいまし、すべて世は事もなし」という
のがあるけどさ
世の中は今日も平常運転!
というだけだよな
赤毛のアンってちゃんと読んだことないけど
その最後のセリフの自分の解釈は
世の中は今日も平常運転!
という事なんだけどなー
それって平常運転に含まれますよ
ごく普通の事ですよ、という意味なんだと思う
色々言われる事は、通常運転であり
それを乗り越える事が必要な事もまた、通常運転の一部である
という意味を込めている
ネズミの楽園実験じゃないけど
軽いストレスが常にかかっている方がやる気が出る
現実に対して常に考察するのも、このストレスがあるからだ
ストレスの具合を自分の対応できる範囲に自分で整えたら、あとは走るだけだ
仕事は忙しい奴に頼め、みたいなもんだ
あとは走るだけだ
なんにも負荷がかかっていない人間は
すぐに何もしなくなるよ
人間って、そーいうもんだと思う
健康のための運動と理屈は何も変わらない
最適な負荷をかければパフォーマンスが出る
それだけだな
楽園実験はネズミの楽園実験の事だ、世代を重ねて最終的に絶滅した実験結果
まぁだから意識的にやるのは
練習しなければ!みたいなことではなく
負荷の具合を自分向けに調整する事だ
環境を整えることに努力するポイントがある
そこだけは別に好きじゃなくても、やって多大なメリットがある行為だ
その行為はだから努力と言えるだろう
まぁ言っちゃうと、その辺のポイントが
自分の頭の良いところだとは思っている
勉強ができるとか、何かの能力がすごく高いとか
そーゆーのって別にないけど
そーゆー事を考えていて自分で実践しているのが
自分の特別な所だと思う
負荷をかけ続ける事が重要だってのは
学生時代の運動部の部活、具体的には自転車で
負荷をかけつづければ、だんだん出来るようになる
というのが原体験な気がするな
中高じゃなくて大学生だったので
自分で調整する、自分でやってみる、っていう感じだったのも、原体験になった理由だな
どうおもいますか
と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ