親切と偽善、その本質

親切ってのは
親切にしたいなって思う時にだけするもので
そうじゃない時はなにもしない事だな
思ってもない事をするのは、それは労働だ

どうおもう

まぁでも無理はしない事だよ
健康に良くない

自分は偽善も良い事をするなら善であるという意見なので
内面の動機は問わない
親切じゃなくても、新切な行動をするのは偽善であるが
対価を求めていたとしても、いい事をしてるなら別にいいんじゃないのと思う

僕は思うのは偽善は偽善でいいが、
本当に困った時に起こる他人の助けっていう物は、ただの親切だったりするよな
という経験感覚から
本当に親切にしたい時に親切にしようということ

商売になるならそれは本当のピンチではない

親切にしても自分にはまったくプラスがない
親切というのは最初からそーゆーものだ

世の中にはあるし、でもアピールはしないよ
そういう人はいるし、そういう事はある
もっと世の中を信じて行こう

アピールしないからネットには上がらない
ネットに上がってるものがすべてではない

どーでもいい、偽善は勝手に存分にやればいい
俺は知らん

どうおもいますか
と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ