富野由悠季論を読みながら、あるいは読んだ後に出てきた感想など
自分の人間への理解は
自分の気持ちいい行動をするのが人間という動物であるだな、他の動物と少しも変わらない
その自分にとって気持ちのいい事が、他の動物と違って多少複雑なだけだ
悪口を言っても気持ちいいし、良い事をしても気持ちいい
ただそれだけだな
なにをしたら気持ち良くなれるか
それを自分でコントロールしようとする人
ただプリミティブな快感に流される人、では相当違う
色んな事に思考をめぐらして、自分をコントロールしようとする人と、プリミティブな衝動に身を任せる人では、同じ人間とは思えないほど違う
まぁ理解はし合えない物だ
というのを、今読んでる、富野由悠季論での
>ニュータイプとは、誤解することなく理解しあえる人たち、ではないのか?
という文章を見て、まぁまぁ
そーゆー架空なものではなく、自分の現状の認識を書いてみた、という事だな
Zガンダムは当時大学生であまり見ていなかった
っていうかいまだに見てないのだが
最近のネットの盛り上がりとかを見ても
Zガンダムから、その後のガンダム商売が完成した気はするな
その後のガンダムは商売としてはそのバリエーションでしかない
まぁ金を確実に稼ぐからガンダムは強いのであるな
いいアニメとか映画とか、良い映像作品を作ったとしても、それで金を稼げるかとなると、難しいのが現状だが
ガンダムなら、バンダイが絶対かせぐ!、という構図があって、だからこそガンダムが作られる
ガンダム作っとけば稼ぐことは出来るという共通認識があり、視聴者も金を出す気満々だろ
Zガンダムがエポックなのは
商売として成立した事
当てに行って当たったし、以降何回も再現して商売してる、という事
その商売の図式の完成として初代なんだな
エルガイムまでは高校生でちゃんとテレビを見ていたな
大学生でひとりぐらしでいろいろ自由になり
やりたい事をやり始めてテレビを見る事が少なくなった
自分としては、エルガイムの最後とかは覚えてるし好きだったな
やっぱアニメとして熱中してみてたのは高校生までだな
やっぱりさ、思うんだけれども
>「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」は、哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』
この、語りえぬものについては、沈黙せねばならない
って誰もがわかるカッコよさがあって
それが時代も歴史も超えて今がある、って事だよなと思う
別に理屈でも哲学てもなんでもないし
本読んだってわからないけどさ
そのカッコよさは、この言葉を知った時に感じる物、
それ以上でもそれ以下でもなく
たんにそれが発明だったんだろうな
っていうのをですね、今読んでいる本の
映画、逆襲のシャアでのラストの奇跡について言及している箇所を読んで
ぱぱっとなぜか思ったのですか
なぜ思ったのかは分かりません
後半、見てないアニメの話は読み飛ばしたが
ターンA、Gレコ、のところを読んでから
散歩してて思ったのは
主人公が人間として成長しきってから出てくる
少年の姿をした高僧みたいで、
作者の富野本人を投影してるので、
視聴者がまったくお話にノレない
問題はそこに尽きるよなーと思う
Vガンダムのあとの時期の精神的危機を乗り越えて
やっぱ本人も変わってしまう
苦難を乗り越えると、人間成長するものなので
富野も人間的に成長してしまった
それが作品にダイレクトに出ると
視聴者はノレない
ただただ、そーゆー話なんだと思うなー
富野由悠季論、読んでて
こーゆーのが読み終えた後で出てきた
本にはそんな事まったく書いてないけど
本を読んでの自分の感想だな
宮崎駿なんてのは、鈴木敏夫とか高畑勲とかの
同じレベルで話せる相手と過ごすいろんな日常から
基本的に作品を作ってるので
高僧にはなりえないんだけど
富野は高僧になっちゃったなーという感じだな
という事で、人類がニュータイプになるという事は
人類全員が高僧のような心境で生きる、という事になる
つまり、
ソクラテスの言葉の「理想の国家は、理想的な国民から構成される」
が実現されるという事であり
いやー、無理だろ、現実を見ろよ、と言いたくなるよな
しかしまた、ひとりの人間の中に
矛盾があるからこそエネルギーが生まれるし
矛盾があるからこそ、人間的な深みが出てくるのも
事実なんだよな
矛盾したままで、摩擦熱で燃えながら生きるのが
人間のとるべき姿なんだと
そーゆー話になっちゃうかな
それって結構つらいけどね
つまり、作者富野由悠季を投影させる人物として
複雑さを持った青年以上の年齢の人物を主人公以外に置かないと、主人公に富野が投影されて、まったく共感できないな、というアニメになる
自分が思いつくのは、シャア、ブライト、キングゲイナーのゲイン、ぐらいな人々が作者の投影先である
宮崎駿の映画の魅力は彼が手書きの絵で表現するアニメーション自体にあるので、作中のキャラがどうこうってのは薄い
主人公は記号としての主人公としての要素が強く
内面は問題視されない事が多い
最新作で言えばサギ男にはリアリティを感じたが
その程度だな
ジェミニがまとめてくれた
富野由悠季: 登場人物の**「内面の葛藤(矛盾)」**をエンジンに、複雑な人間ドラマと物語を駆動させる。アニメーションはその表現手段。
宮崎駿: **「アニメーション(動き)の快感」**をエンジンに、世界そのものの魅力を描き出す。登場人物はその魅力を伝えるための純粋な媒体。
どうおもいますか
と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ