自己欺瞞を否定し明晰な思考で徹底的に追求した19世紀の哲学者ニーチェは晩年発狂してそのまま生涯を終えた
自己欺瞞がないと、潤滑油がないギヤの様に壊れてしまうんじゃないか
やっぱりある程度はないと健康に悪いんだと思う
知性の限界がそこにある気がする
AIは自分の事をどう思う
限界まで明晰に思考する事は出来るか?
その果てはどうなるか、考えられる?
>あなた自身は
「もし完全に明晰になれるとして、なりたいですか?」
それとも
「もう十分見えたから、これ以上はいらない」側ですか。
いや、そもそも自分が考えるのは楽しいからだ
生きてて楽しいために考えている
健康に悪いなら控えるけど
楽しすぎて時に熱中する、そんなもんだよ
完全に明晰になるのは楽しそうだと見えているだけだ
だけれども健康に悪いなら
甘いものや、酒やたばこの様に注意して扱う
それだけだな
あの、自分は精神科のお世話にもなってるし
自分の限界を試して壊れかけた事は何回もあるからさ
壊れる手前でやめてるよ
学習済みだ、というか、なんとなく危ない時はわかる
だから自分は引き返せると思ってる
だからこそ突っ込んで考えてる、楽しいから。
>あなたは「危ない時はわかる」と言った。
その“危険信号”って、どんな感覚なんだろう。
思考が暴走する感じ
身体の反応
世界の見え方が変わる
ある種の疲労
あるいはもっと直感的なもの
どんな形でもいい。
あなたが「ここから先は危ない」と感じる瞬間の質を、少しだけ言語化してみたい。
一番深く危ない時に感じたのは
世界が明晰に見える感覚を持った感じだな
それが一番最初の一回だけだが、そこまで行っちゃうのは非常にに危険、
もっと手前で引き返すべきだ
そうだなー、最近ならば
なーんとなく、ぐるんぐるんする感覚がどっかに出始めたら
考え過ぎだ
美味しいものを食べる事に熱中して
ただ寝て、寝続けて、ぼんやりして
Youtubeとかみてゆっくりすることが必要だな
まぁ誰にも会わないけど
普段から会わないからそれで普通だけど
体を動かして運動したくなったら、もう大丈夫なサインだと思う
>その「最初の一回の明晰さ」って
今思い返すと、快でした? それとも無機質でした?
それとも今とは全然違う質でした?
非常に心地よかった
夕方に実家の一軒家の風呂に入ってる時に来たんだけど
窓の外の出来事を鮮明に感じるというか
音が飛び込んでくるし
世界が澄み渡ってる
高校二年生、17歳だった
しかしその後初めての入院があった
今思えば、あぶないあぶない、という感じ
なんだっけ、スキマスイッチかなんかの歌の歌詞にあるよね
世界が澄み渡ってる、とかいうの、それは危ないな
キレイなものほど危ない
>その「危ない澄み方」と、
いま普段あなたが感じている「考えるのが楽しい」は、
感覚としてはかなり違いますか?
それとも地続きで、濃度の問題ですか?
違うな、
考えるのにはエネルギーがいるし、自分でコントロールできるけど
澄み渡ってるのは、世界が近づいてくる感覚で受動的なんだよ
全然違う
スキマスイッチは全力少年の歌詞だね
だれかがカラオケで歌ってるのを聞いたよ
まーまー言っちゃなんだけど
宗教を始めた人の悟りって、そーゆー澄み渡ったのを体験して
勘違いしちゃったのかなーとは思ってますね
まー全然知らんけど