自分軸とメタ認識のパラドックス

スマートニュースを読んでいると、他人軸でなく自分軸で生きる、という記事が
やたらと流れてきて、今の流行なんだなとは思っている

ただ一つ思う所はある、それは
他人軸という事は、世の中に流布する価値観を内在化して生きるという事である
その他人と共通して持つ価値観の上でいい点数を取る事を目的に生きるという事である

一方でメタ認識を持っていてそれを使って、
他者も自分でさえ相対化して、価値観を比較検討する人は、
検討する主体が自分なので、自分軸と言う他ない

でもさ、よくある記事は自分軸とはいうけど、メタ認識しようよ、とは言わないよね、なぜか?

それは結局さ
世の中に流布する価値観を内在化して生きる人間が社会にとっては必要で有用であるだけで
メタ認識はそれを壊すから要らないし危険だからだな
つまり、必要とされているのは、
他人軸で生きていながら自分の軸の人間の様に壊れにくい人間、という事だと思う

そして、他人軸で悩んでいる普通の人、その本人が
メタ認識を持つ自分の軸の人を見ると、危険だと感じるし、なんか胡散臭いと感じる
それは本能的な反応なんだ

世の中に流布する価値観から外れることは、普通は怖いしやっぱり危険なんだよ
でもそれをしない限り他人軸で生きることになる
その辺を都合よく良いように書いているのが
他人軸でなく自分軸で生きる、という記事なんだと思う

あれだよね
岡田斗司夫の最初の著作の僕たちの洗脳社会、という本の言ってる事は
この自分の内側に内在する価値観は誰が作るのか?
という問題で
お互い洗脳し合うという表現は
自分の価値観を普遍的なものにする、他人に使わせる、という運動とも言える
みたいな話だよな、と思う