しかしあれだな
今、アニメ評論家みたいな肩書の動画を見ているが
自分が一番評論だと感じたのは
精神科医の斎藤環の書いたオタク関連本だな
アニメ、マンガの歴史的テーマの変遷とか
ただの現状、歴史のまとめじゃなくて
ちゃんとひとつの論になっている
ただまとめてもそれは論ではないな
あれだ岡田斗司夫オフで自分が話した
マクガイヤーゼミは事実を並べて説明してまとめるのが得意で、岡田斗司夫は、それに対して自分がどう考えたかを語るのが話の主、という事に似ている
事実を並べて示しているだけでは論考足りえない
自分がおもしろいなと思うのは、やっぱその人の考えた論考だな
まぁまぁまとめるのも大変だし優秀ですねって感じだけど、本当に考えてはいないよなー、って強く思うね
Xでのアンチの発言を見てて思うのは
アンチにとってはまとめる事が頭の良い行為であって
論考は適当な事を言ってる、と捉えてるように見える
まぁその人には世界はそう見えるという話なので
それは仕方ないですね、って感じだな
それだけ論考が浸透している事が逆にビックリなだけだな
AIが指摘してくれたけど
論考にあって、まとめにないのは、なぜこうなんだろう?という疑問だね
まず最初に疑問が自分の中にあるから
仮説を立て論理を展開して検証して、チェックする
というサイクルがまわるのであって
一番最初に、これなんでだよ!って思う感性が絶対必要なんだよな
疑問もなく受け入れる人には
そもそも論考を開始することが出来ない
どんなに他の能力が高くても、論ずることはできない
まぁまぁだからさ論考の論者って
すごく優秀な経歴な人って逆に少ないよね
若い頃からすごく世間に対応できた人って
疑問を感じる能力が無いからね
ウィトゲンシュタインの論理哲学論考
なんて、おまえおかしいだろー!
っていう突っ込みに全編駆動されて書かれているよな
世の中を全く受け入れていません
論考する人ってのはやっぱり世間のはみ出し者なんで
アンチが世間の意見を代表しちゃう理由も
やっぱ、それなりにあるんだよな
自分なんかに見えるのは
すごく優秀な人は、自分が優秀であることに満足して
できない他人の悪口を言って、後半の人生の大半を過ごすというのが、やっぱありがちルートであって
ダメな人だけど
それって世の中の主流だよねって思う
まぁ主流に何の興味もあこがれも自分はだからないですが
池上彰の番組とかまとめてわかりやすく解説してくれるけど
論考は存在しないよね
東大出身とかに論考してるなーと感じる人間はいないな
やっぱそこまで世間にフィット出来てしまうと、違う!という違和感自体がないのかな
ホリエモンにしても、論考は別にないな
何事かを成し得たい、という気持ちはあるんだけど、論考だと感じた事はないな
ただ世間にとって池上彰はわかりやすい世間が受け入れる知性であるのは間違いない
結局のところさ、論考する人間ははみ出し者だからさ
ブラタモリの新しいテーマ曲の小沢健二の曲なんか
世の中にジャストフィットして生きてきた
東大出身者の世間に対する疑問の無さを体現してますね
世の中にジャストフィット!っていうのは
ああいう感覚の人だよね
そりゃ世の中に疑問を感じて
仮説をたて、論理展開させ、結果の検証して
現実との整合性をチェックするとかの
論考のサイクルがまわる感じなしないな
まず世の中に対する疑念がまずわいてなさそーである
ジャストフィットしてますからね
Xで見るアンチが言う野生の岡田斗司夫ってのは
自分で論考のサイクルを回そうとしてる人の事を
指すのかなーと思うね
どうおもいますか
と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ