ゲロとレイプがあるのがいい映画という映画評論家がいて
でも自分の人生で、ゲロとレイプがあったらすぐ逃げ出すだろう、と思う
なんだか変だよなと、ずっと思っていた
映画の中で他人が酷い目に合うのは良い映画だという意味になるね
自分は、自分事として感じてしまうので、とてもそんな気持ちにはなれないな
違和感の根本はここにあるんだろうな
映画の様な人生ってあるね、常に他人が批評してくる、主役な人
ゲロとレイプがあるのがいい映画、ってのは
その人が評論家の人生だからそう言うんだなと思う
つまり
映画評論家の様な人生ってあるね、常に他人を批評してる、自分事でない人
世の中には、やっぱり常に主役な人と、常に脇役な人がいて
あまりそれは交代しないなと思う
文句を言うより、言われる人になれよ、という言葉は
脇役の人生じゃなくて、主役の人生を生きろよ、という意味だな
抽象的な言葉だけで済ませてるけど
具体例を挙げると揉め事しか起こらない気がするので
それはぜんぶ割愛します
つまり言いたいのはね
ゲロとレイプみたいな現実世界のいざこざに対して
当事者か傍観者か、という事が人生を分ける、という事
実際ひどい目にあった時に、どう対応するかがそこに見える、という事
別に波乱万丈であれとかは言っていないよ
普通の人生だってさ、色々起こっちゃうもんだよ
ゲロとレイプがあるのがいい映画、っていう言葉に違和感を感じてて
それを言語化すると、こんな感じになった