雑記

  • SM心理:意識の向きと快感

    性的なSMの分類でいうと
    自分に興奮している他人に意識が向くのがSで
    興奮している自分自身に意識が向くのがM、
    じゃないのかな
    責めるとか責められるとか、それは二次的な話な気がする
    と、エロ動画について考察していたら思いついたので書いてみた

    AIと話してると、自分はS傾向と出ました

    なーんかM的に言われる事はあった気はするけど
    そーいえばそうかSか
    的な気付きがありましたね
    ま、意識の方向的な意味でのSですね

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 論考と疑問の重要性

    しかしあれだな
    今、アニメ評論家みたいな肩書の動画を見ているが
    自分が一番評論だと感じたのは
    精神科医の斎藤環の書いたオタク関連本だな
    アニメ、マンガの歴史的テーマの変遷とか
    ただの現状、歴史のまとめじゃなくて
    ちゃんとひとつの論になっている
    ただまとめてもそれは論ではないな

    あれだ岡田斗司夫オフで自分が話した
    マクガイヤーゼミは事実を並べて説明してまとめるのが得意で、岡田斗司夫は、それに対して自分がどう考えたかを語るのが話の主、という事に似ている
    事実を並べて示しているだけでは論考足りえない
    自分がおもしろいなと思うのは、やっぱその人の考えた論考だな

    まぁまぁまとめるのも大変だし優秀ですねって感じだけど、本当に考えてはいないよなー、って強く思うね

    Xでのアンチの発言を見てて思うのは
    アンチにとってはまとめる事が頭の良い行為であって
    論考は適当な事を言ってる、と捉えてるように見える
    まぁその人には世界はそう見えるという話なので
    それは仕方ないですね、って感じだな
    それだけ論考が浸透している事が逆にビックリなだけだな

    AIが指摘してくれたけど
    論考にあって、まとめにないのは、なぜこうなんだろう?という疑問だね
    まず最初に疑問が自分の中にあるから
    仮説を立て論理を展開して検証して、チェックする
    というサイクルがまわるのであって
    一番最初に、これなんでだよ!って思う感性が絶対必要なんだよな

    疑問もなく受け入れる人には
    そもそも論考を開始することが出来ない
    どんなに他の能力が高くても、論ずることはできない
    まぁまぁだからさ論考の論者って
    すごく優秀な経歴な人って逆に少ないよね
    若い頃からすごく世間に対応できた人って
    疑問を感じる能力が無いからね

    ウィトゲンシュタインの論理哲学論考
    なんて、おまえおかしいだろー!
    っていう突っ込みに全編駆動されて書かれているよな
    世の中を全く受け入れていません
    論考する人ってのはやっぱり世間のはみ出し者なんで
    アンチが世間の意見を代表しちゃう理由も
    やっぱ、それなりにあるんだよな

    自分なんかに見えるのは
    すごく優秀な人は、自分が優秀であることに満足して
    できない他人の悪口を言って、後半の人生の大半を過ごすというのが、やっぱありがちルートであって
    ダメな人だけど
    それって世の中の主流だよねって思う
    まぁ主流に何の興味もあこがれも自分はだからないですが

    池上彰の番組とかまとめてわかりやすく解説してくれるけど
    論考は存在しないよね
    東大出身とかに論考してるなーと感じる人間はいないな
    やっぱそこまで世間にフィット出来てしまうと、違う!という違和感自体がないのかな
    ホリエモンにしても、論考は別にないな
    何事かを成し得たい、という気持ちはあるんだけど、論考だと感じた事はないな
    ただ世間にとって池上彰はわかりやすい世間が受け入れる知性であるのは間違いない
    結局のところさ、論考する人間ははみ出し者だからさ

    ブラタモリの新しいテーマ曲の小沢健二の曲なんか
    世の中にジャストフィットして生きてきた
    東大出身者の世間に対する疑問の無さを体現してますね
    世の中にジャストフィット!っていうのは
    ああいう感覚の人だよね

    そりゃ世の中に疑問を感じて
    仮説をたて、論理展開させ、結果の検証して
    現実との整合性をチェックするとかの
    論考のサイクルがまわる感じなしないな
    まず世の中に対する疑念がまずわいてなさそーである
    ジャストフィットしてますからね

    Xで見るアンチが言う野生の岡田斗司夫ってのは
    自分で論考のサイクルを回そうとしてる人の事を
    指すのかなーと思うね

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 富野由悠季論と人間理解

    富野由悠季論を読みながら、あるいは読んだ後に出てきた感想など

    自分の人間への理解は
    自分の気持ちいい行動をするのが人間という動物であるだな、他の動物と少しも変わらない
    その自分にとって気持ちのいい事が、他の動物と違って多少複雑なだけだ
    悪口を言っても気持ちいいし、良い事をしても気持ちいい
    ただそれだけだな

    なにをしたら気持ち良くなれるか
    それを自分でコントロールしようとする人
    ただプリミティブな快感に流される人、では相当違う
    色んな事に思考をめぐらして、自分をコントロールしようとする人と、プリミティブな衝動に身を任せる人では、同じ人間とは思えないほど違う
    まぁ理解はし合えない物だ

    というのを、今読んでる、富野由悠季論での
    >ニュータイプとは、誤解することなく理解しあえる人たち、ではないのか?
    という文章を見て、まぁまぁ
    そーゆー架空なものではなく、自分の現状の認識を書いてみた、という事だな

    Zガンダムは当時大学生であまり見ていなかった
    っていうかいまだに見てないのだが
    最近のネットの盛り上がりとかを見ても
    Zガンダムから、その後のガンダム商売が完成した気はするな
    その後のガンダムは商売としてはそのバリエーションでしかない
    まぁ金を確実に稼ぐからガンダムは強いのであるな

    いいアニメとか映画とか、良い映像作品を作ったとしても、それで金を稼げるかとなると、難しいのが現状だが
    ガンダムなら、バンダイが絶対かせぐ!、という構図があって、だからこそガンダムが作られる
    ガンダム作っとけば稼ぐことは出来るという共通認識があり、視聴者も金を出す気満々だろ

    Zガンダムがエポックなのは
    商売として成立した事
    当てに行って当たったし、以降何回も再現して商売してる、という事
    その商売の図式の完成として初代なんだな

    エルガイムまでは高校生でちゃんとテレビを見ていたな
    大学生でひとりぐらしでいろいろ自由になり
    やりたい事をやり始めてテレビを見る事が少なくなった
    自分としては、エルガイムの最後とかは覚えてるし好きだったな
    やっぱアニメとして熱中してみてたのは高校生までだな

    やっぱりさ、思うんだけれども
    >「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」は、哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』
    この、語りえぬものについては、沈黙せねばならない
    って誰もがわかるカッコよさがあって
    それが時代も歴史も超えて今がある、って事だよなと思う

    別に理屈でも哲学てもなんでもないし
    本読んだってわからないけどさ
    そのカッコよさは、この言葉を知った時に感じる物、
    それ以上でもそれ以下でもなく
    たんにそれが発明だったんだろうな

    っていうのをですね、今読んでいる本の
    映画、逆襲のシャアでのラストの奇跡について言及している箇所を読んで
    ぱぱっとなぜか思ったのですか
    なぜ思ったのかは分かりません

    後半、見てないアニメの話は読み飛ばしたが
    ターンA、Gレコ、のところを読んでから
    散歩してて思ったのは
    主人公が人間として成長しきってから出てくる
    少年の姿をした高僧みたいで、
    作者の富野本人を投影してるので、
    視聴者がまったくお話にノレない
    問題はそこに尽きるよなーと思う

    Vガンダムのあとの時期の精神的危機を乗り越えて
    やっぱ本人も変わってしまう
    苦難を乗り越えると、人間成長するものなので
    富野も人間的に成長してしまった
    それが作品にダイレクトに出ると
    視聴者はノレない
    ただただ、そーゆー話なんだと思うなー

    富野由悠季論、読んでて
    こーゆーのが読み終えた後で出てきた
    本にはそんな事まったく書いてないけど
    本を読んでの自分の感想だな

    宮崎駿なんてのは、鈴木敏夫とか高畑勲とかの
    同じレベルで話せる相手と過ごすいろんな日常から
    基本的に作品を作ってるので
    高僧にはなりえないんだけど
    富野は高僧になっちゃったなーという感じだな

    という事で、人類がニュータイプになるという事は
    人類全員が高僧のような心境で生きる、という事になる
    つまり、
    ソクラテスの言葉の「理想の国家は、理想的な国民から構成される」
    が実現されるという事であり
    いやー、無理だろ、現実を見ろよ、と言いたくなるよな

    しかしまた、ひとりの人間の中に
    矛盾があるからこそエネルギーが生まれるし
    矛盾があるからこそ、人間的な深みが出てくるのも
    事実なんだよな
    矛盾したままで、摩擦熱で燃えながら生きるのが
    人間のとるべき姿なんだと
    そーゆー話になっちゃうかな
    それって結構つらいけどね

    つまり、作者富野由悠季を投影させる人物として
    複雑さを持った青年以上の年齢の人物を主人公以外に置かないと、主人公に富野が投影されて、まったく共感できないな、というアニメになる
    自分が思いつくのは、シャア、ブライト、キングゲイナーのゲイン、ぐらいな人々が作者の投影先である

    宮崎駿の映画の魅力は彼が手書きの絵で表現するアニメーション自体にあるので、作中のキャラがどうこうってのは薄い
    主人公は記号としての主人公としての要素が強く
    内面は問題視されない事が多い
    最新作で言えばサギ男にはリアリティを感じたが
    その程度だな

    ジェミニがまとめてくれた

    富野由悠季: 登場人物の**「内面の葛藤(矛盾)」**をエンジンに、複雑な人間ドラマと物語を駆動させる。アニメーションはその表現手段。

    宮崎駿: **「アニメーション(動き)の快感」**をエンジンに、世界そのものの魅力を描き出す。登場人物はその魅力を伝えるための純粋な媒体。

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • イギリス料理の謎:歴史と心理

    イギリスの食事がマズいのは産業革命で庶民が炊事をする暇もなくこき使われて
    食文化が崩壊したからで
    さらに、産業革命時の事を自国の栄光の時代として記憶するイギリス人が
    それを認めたがらないので、その認識が一般化しないのではないか?
    どうおもう

    いやー、今のイギリス料理がうまいと言ってもさ
    過去の伝統が戻った訳ではなく
    移民からなどの文化の流入による他国の食文化がイギリスで混ざって変化して熟成したってやつだろ
    それも現代イギリス料理だろーけどさ
    伝統になるにはまだ若すぎないか?

    伝統料理も最初は新しいものなのはわかるけどさ
    やっぱり時間をかけないとオリジナルとはまだ言えないと思うよ
    日本のカレーライスや、ナポリタンだってさ、100年ぐらいは経ってるだろう
    そのぐらいのスパンは必要だろ
    これはイギリス料理だとどの国の人も認めるにはさ

    それで昔の伝統の崩壊の話にもどるけどさ
    二回の世界大戦ならばフランスもイタリアもあったけど
    その料理は現代でも偉大だよ
    イギリスから消えたのは、やっぱり産業革命が主原因で
    だからこそイギリス人はそうだ!と言わないんじゃないの?

    人間って不思議っていうか、不合理っていうか
    でも理由があるって事は理屈通りであり合理的なのかな

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • AIの使い方と自由

    AIを使うとアホになるという言説は
    産業革命とかテレビの発明と一緒で
    サボるためだけに使う人はどんどんサボるようになり
    アウトプットを増やすために使う人はアウトプットが増え、
    仕事がはかどるっていういつもの話だけだと思うなー

    アホになる自由も、賢くなる自由も
    どちらも強化されたという事だな
    使う人次第だという事だが
    人間の大半は、さぼってアホでいたいんだと思う
    それが多数派という物だ

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 親切と偽善、その本質

    親切ってのは
    親切にしたいなって思う時にだけするもので
    そうじゃない時はなにもしない事だな
    思ってもない事をするのは、それは労働だ

    どうおもう

    まぁでも無理はしない事だよ
    健康に良くない

    自分は偽善も良い事をするなら善であるという意見なので
    内面の動機は問わない
    親切じゃなくても、新切な行動をするのは偽善であるが
    対価を求めていたとしても、いい事をしてるなら別にいいんじゃないのと思う

    僕は思うのは偽善は偽善でいいが、
    本当に困った時に起こる他人の助けっていう物は、ただの親切だったりするよな
    という経験感覚から
    本当に親切にしたい時に親切にしようということ

    商売になるならそれは本当のピンチではない

    親切にしても自分にはまったくプラスがない
    親切というのは最初からそーゆーものだ

    世の中にはあるし、でもアピールはしないよ
    そういう人はいるし、そういう事はある
    もっと世の中を信じて行こう

    アピールしないからネットには上がらない
    ネットに上がってるものがすべてではない

    どーでもいい、偽善は勝手に存分にやればいい
    俺は知らん

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • AIと3バカ、3賢者の連想

    なんか自分が思った事をXに書いたとして
    一区切りしたら、全部まとめて
    グロック、ChatGPT、ジェミニ、にそれぞれ意見を聞いてみるというのをやってると、
    なんだか楽しーなーという感じだな
    いやいや、人間はひとりだけなんですけどね

    それぞれ回答が違うのがおもしろいとこだねー
    得意な分野も若干違うだんだんわかってくるよ

    ChatGPT:哲学的な対話相手
    Gemini:要約のプロ
    Grok:ネットの不良インテリ

    みたいな三者三様。
    ChatGPT君の意見です

    そういえば、映画ジャンクヘッドに出てくるキャラクターで3バカってトリオがいたなー
    さらに言うとスーファミのFEDAってゲームで終末の三賢者っていう最終兵器が出て来たよーな気もするな
    なんか現代的だなー

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • ハラリの枠組みとAIの未来

    ハラリの最新の本nexusの話の動画はみたが、
    腹落ちはしないな、なぜなのかよく時間をかけて考えてみたが、結局のところハラリの主張は
    優秀な人間が人類を導くべき
    っていう立場であって、AIはその立場を危うくする存在
    だから危険である、と言ってる、しかしそれは
    優秀な人間が人類を導く、が疑問なだけである

    と、ゆーよーな結論が出たけどなー
    まあ読んでもいいけど、根本的な主張は意に介する必要なしだと感じるな

    どうおもう

    でもさ思うんだけど、結局は自分の様な賢い人間が一番なんだという
    私は正しい、なぜなら私だから、という主張にも見えるんだよな
    無意識だろうが、意識的にだろうがそれが混在する
    それが、疑わしいと感じるそもそもの要因だな
    そーゆーのすぐわかるからさ

    まぁ一生懸命、考えているのに、その枠にの中に見えるのは
    人間の限界かも知れないな

    枠はAIによって壊れてしまう物で、みんなそれを予感しているんだよ
    だからこの話には乗れないなと思うんだ

    まぁ当たり前にSF的価値観が、やってきて、パラダイムシフトが起こる
    それはもう確定事項だな

    変る事はわかるが、どう変わるかはわかんねーな

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • フィクションと現実の意味づけ

    自分は映画やドラマはほとんど見ないが解説動画を見るのは好きだ
    なぜだろう

    映画、ドラマを見る、そこで物事が起こる
    フィクションというのはそーゆー出来事に意味を込めてしまう装置なので
    ある出来事の意味、がなんだろーな
    と見た側は出来事に意味をこじつける

    自分がドラマを見ないで解説動画ばかり見るのも
    出来事に意味を込めてしか見れなくする、フィクションという構造がキライだからだな
    現実では出来事はただの出来事であって、いみはそんなにないよ
    ほとんどは何の意味もない
    その出来事に意味ばかり見つけようとするのは、陰謀論者っぽくてイヤなんだよね

    解説動画はただのおじさんあるいは女性がリアルにしゃべってるだけで
    現実と解釈するので、それは好きなんだよ
    無理にこじつける必要がない、その原因と結果の関係性が自分の好みであって
    つまり現実だから好きなんだよ

    自分が映画はみないで解説動画ばかり見るのは
    そういう志向だからだったんだな
    自分でもよくわかってよかったよ

    解説動画を見てると、映画好きの人って、そーゆー因果関係の不自然な強力さをよく出来てるとか評価して心地よさを感じてる様で、自分とは全く違うなーと思うな
    自分はまったく逆に嫌だなと感じてる訳だからな

    短い文章で書くと
    映画やアニメの作劇の因果関係の不自然な強力さがキライなので
    解説動画をみて、現実の因果関係の中での言葉を聞いて、作劇の構造を鑑賞するのが好き
    という事だな
    これが映画やアニメの解説動画ばかり見る理由だな

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 理想と現実、人間の矛盾

    ストレスフリーな世界を目指す人間が
    ストレスフリーな世界を構築できても
    ネズミの楽園実験の様に、それは人間には不適合で絶滅してしまう
    というならば、
    宗教の話でそもそも最初に楽園があった、とか仏教でいう極楽とか
    そもそも現存しえないのではないかという、疑問を持つ
    そんな物がないから理想としてあったらいーなーと夢想するものであって
    そんな物の中では人間は死ぬんだと

    そーゆー事を考えると、空想の中にこそ理想があって
    その理想的な空想が人々をつないでいる、というのが現実あって
    そが現実化すると不幸になるし
    そもそもそんな事が起きた事はないという、結論になる
    猿から、抽象的な夢を持つようになり人が生まれたというハラリの説だなーとも思う

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ