雑記

  • ジャンクワールドとトリス様

    そういえば、
    ジャックヘッドの続編で、今上映中のストップモーションアニメ映画、ジャンクワールドも教育係として赤ちゃんから一緒のAIが主人公の物語だったな
    先進的だな

    やっぱ、トリス様がいいよな
    素人っぽい女性声優の声も結果的にはハマったな
    6人しかいない製作スタッフの1人らしい、
    明らかに演技の素人
    なんだろーな、トリス様を実写化で見たい気分だ

    AIが主人公なんて先取りー、って感じ
    女性強化人間のトリス様の教育係のAIが主人公のロボットなんだよな

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • ジークアクスとメタ構造の受容

    ジークアクスの今回の展開は
    フィリップKディックの小説でよくある
    現実が崩れてゆく、という展開で、
    こーゆー話にアレルギー反応してキライだー
    って叫ぶ人って昔からある一定数いるよなー
    それは相変わらず変わらないなー
    と思う

    メタ的なお話の構造ってのは、理解できると興奮するし楽しいものだが、理解できないとお話の一本の筋が、突然切られたようにだけ感じるんだろーな
    理解の程度によって受け入れ方に差が出る、
    好き嫌いと言うより、理解できて把握できるかできないが大きいように感じるな

    理解できない自分という状況そのものにアレルギーを感じて攻撃する、という風に見える
    現実を否定したいという気持ちの表れにみえるなー

    ディック的なメタ構造小説は昔からあったが
    テレビ放送する今一番日本で注目されているあろう
    ガンダムのアニメに、メタ構造を入れてきて
    見てる人がとっても多いってのは
    メタ構造小説的にも画期的な出来事だと思うなー
    だってディックって売れなかったもん
    お金にこまってたもん、ここまで来たんだな

    やっぱそこまでできるのは、あまり理解されずに監督作品が売れない鶴巻監督だからこそできるんだろうな
    この機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)も
    結局は理解されにくく、問題作になるのかもしれないな
    それで遠い将来に評価されるのかも知れない

    自分的には11話までみて、残り一話だけど
    すごく満足した
    10話の段階の失望も吹き飛ばして
    さすがだと思ってる

    うーーん、キャラがどうだとか、ロボットがどうだとか
    ぜーんぜん興味が無いなー
    それはお話を楽しくさせる、おいしく食べれれるようにするふりかけみたいなみたいなもんで
    ふりかけの味について、考察する気はまったくないなー

    まぁSF小説を読む人の中でもディックが好きってのが少ないからな
    ディックほどのわかりにくさはないけど大衆には無理な気がするな
    理解されるにしても時間がかかるな

    SFの歴史的に見れば新しい事でもなんでもないが
    受け入れない人が多いってのもわかってる事だからな

    ブレードランナーの様に数年後から評価が爆上がりなんだと思うな
    たぶん。
    何年かかるのかわからないけど

    たしかに鶴巻が打つ一手としては、現状でこれが最高のものなのかもな

    そんなにたくさん作らせてもらえないし、こんなにメジャーな舞台でやれるなんてこれが最初で最後だから
    自分の思うポイントを詰め込んだんだろーな
    それがメタ認識ものだったして、理解されないのはわかって、突っ込んだだろ、鶴巻は。

    まー、まだ終わってないけどね
    最終話たのしみだ

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 真摯さと共感、二つの価値創造

    ドラッカーの言う真摯さ、について歩きながら考えた
    真摯さがあれば立派な仕事をするが、人気者とは、真摯さとは逆の堕落した部分があって、だからこそ共感を呼び人気がある

    昨日見た藤田和日郎と島本和彦の動画で、藤田和日郎が島本の堕落した部分に怒っていたが、だからこそ島本は人気があり、真摯さの高い藤田和日郎は立派な仕事を数々残している

    いろいろな実例はこの理論で納得できるなー
    まぁ書かないけどさ

    真摯さが非常に高かった高畑勲は誰にも理解がされず怪物と呼ばれたが、立派な仕事を残した、たぶん。

    真摯さが無い方向で言えば
    俺はこんなに人間のクズなんだと
    クズさをテレビなどでさらして、
    わかるという共感と、俺より下がいると思わせて
    金をかせぐのが日本のクズ芸人という人々だと思う

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

    補足:Google Geminiによる真摯さの解説
    1. ドラッカーの言う「真摯さ(Integrity)」とは何か
    まず、ご考察の起点であるドラッカーの「真摯さ」について確認させてください。ドラッカーがマネジメントにおいて最も重要視したこの資質は、単なる「誠実さ」や「真面目さ」以上の、もっと厳格な概念です。
    ドラッカーの言う「真摯さ」とは、「何が正しいか」を常に自問し、たとえそれが不人気で、困難で、あるいは自らにとって不利益なことであっても、その「正しいこと」を一貫して追求する姿勢を指します。ごまかしがなく、私心が無く、人の弱みにつけこまず、仕事そのものと、それによって生み出される価値に対して絶対的な責任を持つ態度です。
    この定義から見ると、ご指摘の通り、藤田和日郎氏や高畑勲氏のような方々が、まさにこの「真摯さ」を体現していると言えるでしょう。

  • 見立て文化と映像の未来

    大鉄人17の動画を見た
    小学生のお時にリアルタイムで見てたけど
    ロボというには柔らかそうな素材だなーという
    印象が強く、鉄とか金属じゃないし、ロボでもない
    そーゆー見立てなだけ、っていう
    昔のスタイルだな

    ぜんぜんそーは見えないけど
    そーゆーもんだと思って見ましょう
    ってのが自分の子供の頃の子供番組だったな
    今の作画崩壊とかさ
    そんなの崩壊しててあたりまえであって
    完成形は頭の中で想像しましょうって世界だな
    そんなもんだったな

    逆に今のきれいすぎる絵のお子様番組が
    (見てるの大人だけど)
    あんま受け付けないし
    絵がキレイとかほめる気がまったくない
    そこはどーもでええんやで、って感じだな
    その辺世代間ギャップが大きい

    逆に言うとどこまで絵がキレイになっても
    嘘は嘘だろー、って思ってるというか
    自分の頭の中の想像のアラは見えないが
    きれいな絵のアラは、どーしたってみえるからな
    具現化すると欠点も見えるよ、当たり前だが

    AI作成の動画でようやく
    嘘かホントかわからないレベルに近づいたという事だな
    それで楽しいのかどうかは疑問だが
    出来ちゃうんだから大抵のものは
    いずれ、嘘かホントかわからないレベル、になる
    世の中、そーゆーもんだよな

    未来の、嘘かホントかわからないレベルの時代の人からは
    今の、絵がキレイな時代な物が
    今でいう作画崩壊みたいな、違う言葉でディスられるよ
    世の中そーゆーもんですから

    見立て、という文化は消え去るよーなと言うか
    すでに消え去ったのかもな

    どうおもう

    現時点では見立て文化で育った60代以上の作家が
    SFアニメやSF特撮を牽引していて
    おじいちゃんが見立てて想像したものを
    下の世代が具現化して表現してる様にみえるなー
    そもそもの、見立てて想像する力が一番強いのは
    何だかんだ言って、今のおじいちゃん世代だったりするよな

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 資本主義批判の核心を探る

    資本主義批判とは要するに
    お金を儲けで、そのお金で楽に暮らす
    というそれ自体を批判しているので
    そんな事、批判しても無駄じゃないの?
    それは受け入れないとダメなんじゃないの?と思うなー

    誰かが楽をしたら、不均衡や不平等は必ず起こるよ
    それを分ける事が原理的に無理だろーと思う
    無茶な理想を語るなよと思う
    それを受け入れた上で、
    極端な不平等はなくしていこう、再配分しようって事しかないともうがなー
    だから資本主義って否定できないと思うよ
    お金を儲けで、そのお金で楽に暮らす
    ってのは、誰もがしたい事であって、それを否定するのはおかしい
    それに向けて頑張ったりできなかったりそりゃあるよ、人間同じじゃないからさ

    どう再配分するかは政治家の仕事であって
    そこにはいろいろあるんだろー
    なかなか難しーよ
    あんま自分はそこには興味ないよ
    だって自分はある程度満足してるからさ
    不満がある人は頑張って良い社会での資本の再配分をめざせよ
    そーゆー事だよ

    自分が言いたい、知りたいのは、資本主義批判とは何だ!
    という疑問だよ

    まぁ結局のところ、不満がある奴は頑張れよって事で
    不満がある奴が新しい搾取する側に回るだけなのもよくある話さ

    だってそれ以外のシステムでこれ以上のものはないんだからさ
    その時代の金持ちや権力者の顔色をうかがいつつ
    みんなに大きな不満のないように再配分社会を目指す
    そだだけだろ

    再配分のバランスだけの問題ならば
    資本主義批判と根本的に違うだろーと
    自分のいいたいのはそれだよ

    構造的な搾取は
    お金を儲けで、そのお金で楽に暮らす
    という根源的な欲求そのものに基づいてる
    これを根本的に否定することは出来ない
    なんか話が堂々巡りだな
    根本的な事を言うなら、人間の欲望自体が不平等を目指しているからだよ
    人間に原因がある
    根本的な解決は、人間を改造する事だよ
    それは無理なんだからさー

    まぁまぁ批判がないと
    その時代の金持ちや権力者の顔色をうかがいつつ
    の部分で、いい顔をしてくれないからさ
    プレッシャーが必要なのはわかるよ
    でも、プレッシャーの与え方が原始的で頭悪いって感じだよな
    結局は革命とか一揆しか無い訳だろ
    でも人間そんなもんだよなー

    やっぱさ、今考えられて試されてない方法は
    AIに再配分を任せてみる、だと思うんだよな
    どこかの国で実験してうまい行くかどうかだよ
    何事もやってみないとわからん
    共産主義だって全体主義だって人間は試したんだからさ
    これもたぶんやるよ

    まぁ先の事はわからんけどさ
    これは実現するだろ
    僕は死んでるかなー
    そこまで長生きできないなー

    今読んでる本で、栗本信一郎のパンツをはいた猿、に関する説明が書いてあるが
    王や聖職者が蕩尽を主催するために必要であるという事ならば
    現在では、政治家がそれである
    それをAIでやってみたら世の中上手く行くかも、という事であって
    いずれどこかが試すだろーな

    どうおもう
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 西城秀樹とymca、高倉健から女子高生へ価値観の変化

    西城秀樹が死んでずいぶん経つけど西城秀樹の名曲として挙がる曲に対して、いやー、いい曲だとは思うけど
    そんなにヒットはしてなかったよ
    最大のヒットはYMCAだよ、あれで
    テレビ番組のベストテンで相当の期間一位にいたよ
    と思う
    あれが最大のヒットに思うけどなー

    おもえばYMCAヤングマンは
    若い人は希望があるんだ、と歌うだけの歌詞で
    明日に希望がなければヒットしないよなー
    明日に夢を感じ出た時代だなという事がわかる
    だってさ、それが西城秀樹最大のヒットなんだよ
    そんじょそこらのヒットじゃないのよ

    という事で、映画新幹線大爆破の話をするんだけど
    もとの昭和版は犯人役が高倉健で
    今の令和版は女子高生になっている
    これは、その時代の世の中でキャラクターとして一番強いものが犯人役なんだろー、と解釈した

    昭和版は、世の中を変えていく若者としての高倉健だと思う、壊すにしろ作るにしろ、若者の力が当時の世の中のテーマになってたように思う
    令和版の女子高生は、女性の中で一番男性に訴える力が強い存在として一番強い存在としての女子高生だと思う
    つまり本能に訴えるものが時代の一番のテーマなのだ

    2025年現在今はAIが普及しはじめたりと
    スマホ普及以降も止まらずに
    世の中は継続的に強く変化し続けている
    もう時代のテーマは変化を起こす若者ではありえない
    変化には仕方ないと思いつつうんざりしているからだ
    だからテーマは能力が疑問だが、本能を刺激する女なんだとおもう

    不倫のニュースがこんなに爆発するのは
    今の世の中の人が考えている一番の事は
    世の中を自分が変えて歴史に名を残す、ではなく
    本能的な快感を死ぬほど味わいたい、なので
    不倫した人に、妬みが集中するのだと思う
    今の世の中のトレンドは、本能による快感の追求だろ
    そーゆー事だと思う

    そーゆーことを考察しましたが
    ここの視点はみんななスルーしがち
    だけど、自分は気になったので考えてみました

    どうおもう
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 鳥山明の「正義」と「描かない」

    鳥山明ね
    自分はそんなにマンガ読まないけど
    自分が思う鳥山明の特徴は
    神が単なる異星人だったり、正義に熱中する人が全然いないという、現実とかけ離れた世界観、だと思うな
    鳥山明が嫌ったものが垣間見えるというか
    そーゆーものは、最初から書かなかった、という事なんだろーな

    現実世界の人間は
    神に熱中し
    正義に熱中する
    自分が正しい事が如何に人間の快楽か、という事を
    よく感じるものだが
    鳥山明の世界では、
    自分が正しい事の快感に酔っている人間は登場しない
    たぶん、そーゆーのとっても嫌いだったんだと思うな
    そーゆー鳥山明の人間性を強く感じる

    その部分は、あんまり受け継いでる人はいないと思う
    あんなにわかりやすく書いた人は
    現れていないと思う
    画力と違って、実現はたやすい気はするんだが
    現実にはいない

    鳥山明はえらぶらない、という記事を今読んだが
    自分に対しても、自分は正しい、という快感に酔うのを拒否したので、誰に対しても腰が低かった、という事なんじゃないのかな
    自分は偉い、正しい、自分の意見をみんなが聞くべきだ
    みたいなものが、心底嫌いだったんだろーなーと
    きっと反面教師がいるな

    ほとんど知らないのだが
    ゴールデンカムイというマンガは登場人物が
    自分が正しい、と思っているだろう
    でなければ他人を殺す事など出来ない
    現実世界では、正義で行動する人はとても多く
    まー、それが普通なんだけど
    鳥山明の描く漫画の世界が如何に現実離れしている事か
    と自分は思う

    画力については見ただけでわかるから
    指摘する人はとても多いが
    このポイントを指摘しているのを見た事ない
    たぶん、絵と同じくらい、このポイントは重要だったはずだ

    正義と正義がぶつかって、悲惨な事になる
    なんて物が一切ない
    描かない
    葛藤もない

    悪役も自分が正しいと主張しない
    私は悪いが、私は偉く、自由気ままにやる
    という子供の様な、こころもちの悪役だ
    自分の正しさを訴えたりしない
    だからこそ、今人気があったりするよな
    そんな人間がもし居たとして、付き合えるわけないのに

    私が正しいと、主張する人間がいない世界は
    ある意味ユートピアに見えたが
    マンガを読むだれもが、自分がそこに行けないのもわかっていた
    マンガを読んでいる自分は、私が正しいと、普通に思うし言うからだ
    これはマンガだな、の一言で、何も考えず読んでいた
    そーゆー感じだろー

    ドラゴンボールの話で、
    自分の正義を押し付けてくる登場人物は、
    ゴクウの嫁のチチが、働け、学校へ行け
    って言ってくる
    嫁と言いう存在に関しては、まーしゃーないと
    鳥山明も思ってるから、唯一と言っていい存在として
    登場してると思う

    どうおもう
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 神と戦う物語の考察

    神と戦う話にオチがつけられない、というのは
    ゲーテルの不完全性定理で言う、システム内では解決できない矛盾だと思う
    神と人間というシステムの外側からしか解決は不可能なので、話にオチを付けるには、神と人間の更にその外側を設定すれば、いったんのオチを付けることは可能だな

    超能力、時間旅行についで
    人間のお話に息をするように登場するのが神だよな
    人間の想像できることは何でもできる存在が神
    人間の想像力に規定されているのが神だ
    まぁ人間とセットなんだよな
    神単体では存在できない

    平井和正の地球樹の女神で
    主人公が、あの橋のたもとで川面を眺めていた時
    世界が改変されていたんだ、ってのがあるんだけど
    これも一種の夢オチだよな
    主人公が世界を改変するって
    それは世界は主人公の夢だって事だもんな
    まー幻魔大戦の一遍だし
    神と戦う話なのは言うまでもない

    という事で一番の正解は神は現れない
    って事だと思うなー
    遠藤周作の沈黙なんか、神が現れないから名作なので
    出たとたん、嘘くさくなるのは、どんな話でも一緒
    出さないでどれだけ引っ張れるかが、ポイントなのです
    レイダースとかでも最後の奇跡が起きて、全部嘘じゃん、と思う訳ですから。

    ドラゴンボールでの神ってのは
    まぁだから、うまく神問題を回避している
    非常に賢い、
    問題が起きる前に回避している所がやっぱ
    鳥山明は天才って言われちゃうよね、って感じだ

    神と戦っちゃうと
    一番ありがちなおちだと、夢オチだよな
    全部夢でした!
    これでわりと話は丸く収まる
    読者の満足がないのを、どれだけ薄められるかの手腕次第だ
    現実的な解だと、これぐらいだよな

    つまり、
    神よりも強いのは自分の主観である
    人生は気持ち次第という事

    しあわせな気持ちに自分がなる様に
    自分の生きる環境を整えてゆくのが、
    しあわせを感じる
    つまりは、神に勝つには必要だ

    根性や気合で、しあわせを感じるなど不可能だ
    だれにでもわかる事だと思うけど

    どうおもう

    最近だと、ワンパンマンのネットでの連載が二回、一年以上かけて書いたパートを没にして
    神と戦うのを回避した
    やはり戦いを挑む時点で、これは泥沼だからやめようという判断があったんだと思うな

    うん、最新の連載では一撃で倒して、正気に戻してる、サイタマが殴ると正気に戻るまでセットで展開した

    ああ、おもいだした、マンガのバスタードも神を出して止まっちゃってるね

    自分が思うこの件での天才は、幻魔大戦を死ぬまで書きとおした平井和正だろう
    最後の方は現時点で誰にも評価されていないが、
    自分を信じて、命尽きるまで書き切った、平井和正は天才の生きざまだろう

    SF作家に2タイプいるって話を前にしたけど
    平井和正は完全に内面世界を書いてる、ディック神林と同じ系統だな

    以下、2タイプ論
    SF小説か
    FKディック、平井和正、神林長平、とが好きだな
    なんていうのかな、この3人に共通なのは
    主人公の内面が世界全体と関わる、みたいな話が多い
    ってことかな、今で言うとセカイ系か
    まーでも恋愛話ではないな
    現実が崩れて行く感が強い作家たちだな
    そーゆーのが好きだったな

    SFでもこーゆータイプの話が好きじゃない人は結構いて
    割合としては少数派な気がするな
    もっと現実感のある世界設定が好きな人の方が多い
    よーな気はするな

    現実が崩れて行って
    自分とはなんだ、みたいになっていくのが
    まぁ好きだった訳だが
    SFでもSF世界自体に現実感のある話は
    そーゆー展開をしないな

    現実感のあるSF世界を書いてるのが好きな人と
    自己とは何だろう、みたいなSF話が好きな人と
    SF好きって言っても、大きく二つに分かれる気はする
    自分は、自己と何だろう系が好きな派閥だな

    どうおもいますか

    自分が思うのはカートヴォガネットって不思議な話を書くし評価も高いけど
    「自己とは何か系」ではないと感じるな
    あの作家は自分には疑念を抱いていないというか、
    興味の焦点はそこにはない感を感じるな
    それがたぶん読んでも、ピンと来ない理由だろうな
    不思議な世界を書くけど、あの作家が書きたいのは
    この現実世界であって、そのおかしな比喩として作品世界があるだけって気がする

    平井和正やFKディックが生きた時代に理解されない天才の姿勢で作品を作って行ったのに比べて思うのは
    筒井康隆はやっぱ秀才に見える、凡人に理解できる程度の突飛さをいっぱい書いている
    たしかに優秀だが、枠を超えない秀才さ、常に他人にどうみられるかを気にして書いてる感じを受けるな
    売れるためにはそれは必要だけどさ

    自己系ではないともうけど
    ハインラインの宇宙の孤児とか、好きだったし(子供の頃にほぼ最初期に読んだSF)
    あんまりぴんとは来なかったが宇宙の戦士とかは
    今の人間の視点を別の視点に切り替えようとするダイナミックさがあって好きだったな

    ディック、ハインラインと来ると
    やっぱアシモフかな、
    まぁSF小説の大御所だけどさ
    銀河帝国の興亡とか、他の長編とかさ
    オーソドックスだけど、好きだったな
    始祖として超強力だなと思う

    自己系を感じるのはスランとか非Aの世界とかのヴァンボクトかな
    ヴァンボクトはFKディックへの影響力を感じるな

    ヴォークトを感じる特徴は、主人公の非人間ぽさかな
    なんだろーな、その人個人の内面のなさを感じるな
    抽象化された記号としての登場人物を感じる
    部屋の床に落ちているゴミを描写しないみたいな感じ
    そのゴミをしつように描写するとディックになる気がする

    筒井康隆に対して、天才!という言葉は割と見えるけど、そーかなーと思い
    それは
    天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ 北野唯我
    で書かれていた、凡人には秀才が天才に見えて、天才は理解できないのでいじめる
    という話なんだろーなと思う

    そういえば10年以上前にミクシーってSNSで自分の日記にFKディックの事を書いていたら
    ディックは嫌いだとわざわざ書いてきた知り合いがいて
    そーゆー事は自分の日記で単独で書けばいいだろー、コメントすんな、と思ってブロックしたことがあったが
    凡人を殺す天才の本には、天才であるかどうかは凡人の反発の力で判断することが出来る、とかいてあって
    この判断の特異な点は、天才の業績が達成される前でも、凡人の反発は観測する事ができるという言う事だと思うな
    まぁ要するにこの話はディックはヤッパリ天才なんだなーと思う感じだな

    どうおもう
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 最適な負荷と平常運転の哲学

    あんまり実感はないのだが、わざわざ低評価を付けたくなる演奏ってことで、話にならない訳では無いんだなと思うな
    そう思ってくれる人が、絶えないってのはわりと自信の源ではある
    なんていうかね、10年はそんな感じ

    やっぱりさ妬ましいって思われるっていうほど正直な評価はない、とは思ってる
    よく頑張ってるね、よくできました、とかでは有りないわけだし

    なんかで読んだけど
    ライブで教えたがりおじさんに話しかけられて
    消える、女の弾き語りの人が多いとか
    そんな事で消えるとか話にならないよなー
    という気持ちの方が強いんだよな
    まぁ
    消えるべくしてきえた、ぐらいの感じだと思うな

    それを責めてる投稿をする方もする方だよな
    とは思うが
    まぁ世の中そんなもんだよな
    と思う
    平常運転ですなー、って感じ

    『赤毛のアン』で最後にアンが言う「神は天にいまし、すべて世は事もなし」という
    のがあるけどさ
    世の中は今日も平常運転!
    というだけだよな

    赤毛のアンってちゃんと読んだことないけど
    その最後のセリフの自分の解釈は
    世の中は今日も平常運転!
    という事なんだけどなー
    それって平常運転に含まれますよ
    ごく普通の事ですよ、という意味なんだと思う

    色々言われる事は、通常運転であり
    それを乗り越える事が必要な事もまた、通常運転の一部である
    という意味を込めている

    ネズミの楽園実験じゃないけど
    軽いストレスが常にかかっている方がやる気が出る
    現実に対して常に考察するのも、このストレスがあるからだ
    ストレスの具合を自分の対応できる範囲に自分で整えたら、あとは走るだけだ
    仕事は忙しい奴に頼め、みたいなもんだ
    あとは走るだけだ

    なんにも負荷がかかっていない人間は
    すぐに何もしなくなるよ
    人間って、そーいうもんだと思う
    健康のための運動と理屈は何も変わらない
    最適な負荷をかければパフォーマンスが出る
    それだけだな

    楽園実験はネズミの楽園実験の事だ、世代を重ねて最終的に絶滅した実験結果

    まぁだから意識的にやるのは
    練習しなければ!みたいなことではなく
    負荷の具合を自分向けに調整する事だ
    環境を整えることに努力するポイントがある
    そこだけは別に好きじゃなくても、やって多大なメリットがある行為だ
    その行為はだから努力と言えるだろう

    まぁ言っちゃうと、その辺のポイントが
    自分の頭の良いところだとは思っている
    勉強ができるとか、何かの能力がすごく高いとか
    そーゆーのって別にないけど
    そーゆー事を考えていて自分で実践しているのが
    自分の特別な所だと思う

    負荷をかけ続ける事が重要だってのは
    学生時代の運動部の部活、具体的には自転車で
    負荷をかけつづければ、だんだん出来るようになる
    というのが原体験な気がするな
    中高じゃなくて大学生だったので
    自分で調整する、自分でやってみる、っていう感じだったのも、原体験になった理由だな

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ

  • 人類の未来と機械の星

    人間はストレスなく人生を送れる世界を目指して、今も目指しているけど
    達成されたら、ネズミの楽園実験の様に
    毛づくろいだけに精を出して、最終的に子孫を残さず滅ぶ、楽園が完成し
    AIなど人類が作った機械だけがのころんじゃないのかなー
    毛づくろいだけに精を出すっていう部分が
    現在の状況を説明できるし、だんだんそのような人間は増えている
    最終的には滅ぶっていう、この道が見えるけどなー
    どうおもう

    自分が言いたいのは、ストレスなく人生を送れる世界を目指していると
    このような結末以外が見えないという事だ
    そもそもこの方向に未来がないのではないかという疑問だ
    かといって、他を目指す理由は人にはない

    いやいや人類ってさ、切羽詰まらないと対策なんて一切しないよ
    今までもそうだったし、これからもそうだと思うよ

    だから、自分が思うのは人類が滅び
    機械たちの持続可能な社会が訪れるのが未来なんじゃないのかな
    という事
    SF的に考えると、その未来が見える

    機械たちで持続可能かどうか、それは人類が考える事ではない
    人間が勝手に滅ぶように
    機械にも勝手に滅ぶチャンスはある

    自分のイメージは、進化の正当な発展はこれなんじゃないのか?
    という疑問だ

    何が正統な発展かといえば
    際限ない自己複製が生物の目標ならば
    それが機械自身の自己複製に行きついても、それは正当といえるだろうと思うという事だ

    それは機械が考えろよ、と思う
    今の人類は生きる意味をよく考えるけど
    機械にだってそれが必要だろ
    人が考えるテーマではない

    これが道筋だったんだなという気持ちだな
    そうなってみれば、それが正しいとしか言えない
    問題はそうなるかどうかであって
    そうなってしまえば、それが道筋だったという事だ

    雰囲気は平常運転だよ
    今の人の社会がぼくらから見て平常運転であるように
    当たり前な世界だろ、そうみえるんだと思うよ

    しらんがな、そこまでイメージする責任はないと思うよ

    僕は僕の人生を楽しく生きるのに熱中する
    ただそれだけだな

    まぁまぁでもさ
    そーなる気がするなーとは思う
    そのような未来に進んでいってる様に観察していて思う

    まぁまぁそのように感じる身からすれば
    子供を作ることに多大なコストをかけて
    今自分のやりたい事を止める気はサッパリ起こらないなー
    という気持ちだな

    自分自身も、その未来の一要因だったという落ちで
    まぁいいんじゃいの?

    人間はストレスなく人生を送れる世界を目指して、今も目指しているけど
    達成されたら、ネズミの楽園実験の様に
    毛づくろいだけに精を出して、最終的に子孫を残さず滅ぶ、楽園が完成し
    AIなど人類が作った機械だけが残るんじゃないのかなー
    毛づくろいだけに精を出すっていう部分が
    現在の状況を説明できるし、だんだんそのような人間は増えている
    最終的には滅ぶっていう、この道が見えるけどなー
    どうおもう

    今の先進国で報告される、子供の勉強熱意の低下なんかは、それに見える

    人間はストレスなく人生を送れる世界を目指していると
    この構造は避けられないのではないかという疑問がある

    人間は衰退し、AIなどの機械たちだけが残る
    進化の帰結として、そうは考えられないか

    人間は切羽詰まらないと対応策を探さない
    これまでの歴史でそれは証明済みだ
    この問題にスポットが当たるのは、もっと深刻化してからだな

    ストレスなく人生を送れる世界を目指すことが生命として自然な事ならば
    それは機械たちを生み出すために生命があったという事にならないだろうか
    そしてそうなる可能性は高いのではないのだろうか

    このシナリオが普遍的な物であるなら、この大宇宙のどこかに機械の星があるんじゃないのかな
    アインシュタイン的宇宙の限界からそれに出会えることはないとしても

    どうおもいますか
    と、これをAIに聞いてみたら色々と興味深く回答してくれますよ