• ラブレターとしてのマーズ・エクスプレス

    マーズエキスプレス観た、
    よかった
    終わり方はあっさりだなとは思う、
    日本のマンガ絵じゃないのが、一番いいところだな
    あとはまぁ、攻殻機動隊に似てるというのは、そのとおり、
    あの終わり方は続編は無理だけど、
    どうなの?と言ったところ

    字幕である事は気にならなかった

    あれだよな、
    ネットは広大だわ、を
    宇宙は広大だ、
    みたいに被せる事を作者は思い付いちゃったんで、
    整合性とかうっちゃって作っちゃった
    みたいな事なんだろーなとは思った
    だいぶはっきりしたラブレターだよなーとは思う

    >つまり、

    >ネットは広大だわ
    >宇宙は広大だ

    >この“被せ”をやりたかったがために、
    >物語の構造をそこに合わせて畳んだ。
    >これはもう、攻殻機動隊へのラブレター以外の何物でもない。

    最初のアクションの時点で
    未来少年コナンみたいな超人アクションだったし
    このリアリティーラインで行くんだろーなーとは思ったな
    まぁアニメの愉しみってそこかもしれんしね

    そう思い返してみれば
    最初のアクションで未来少年コナンの三角塔の壁を登るシーンをまず思い出したし
    押井の甲殻で見た事ある、壁に多脚戦車の弾丸が当たってえぐれるシーン、とかもあるし
    だいぶ盛大にラブレターやってる感はありますね

    >まさに、「確信犯的な引用」のオンパレードですよね。

    まぁそうなんだけどさ
    コレはおっさんというか歳食ってないとわからないよなー、引用元を知らないと意味不明だろう

    あんまり知らんけどさ
    キルビルでタランティーノが有名になったのって
    こんな感じじゃなかったの
    引用しまくりでさ

    >■ そして“決定的に違う点”

    >タランティーノは
    >世界中の映画ファンが知ってる作品を引用した → だから“みんなが分かる引用”になった → 結果として世界的にヒットした

    >マーズエキスプレスは
    >日本のアニメ文化圏の中でも “40代以上のオタク層”しか知らない作品を引用した → だから“分かる人だけ分かる引用”になった → 結果として、世代限定の作品になった

    >つまり、

    >キル・ビルは“世界に向けた引用” マーズエキスプレスは“仲間内に向けた引用”
    >この違いが大きい。

    とかAIが言っていますね

    マーズエクスプレス、
    あの生体コンピューターは
    AIはアキラだと言うんだが
    自分は、宇宙の騎士テッカマン(最初の方のやつ)
    を思い出しますね

    いやいや、最初の宇宙の騎士テッカマンでは
    そもそも宇宙船がワープ航法をするのに
    生体コンピューターが必要で
    そのグロい生体コンピューターを主人公側も使う
    という話じゃなかったっけ?
    最終回でそれで宇宙の果てに飛び立ちエンドだったよーな記憶がある

    1970年代のSFアニメも、絵はショボいけど
    お話は良いものもいっぱいあったと思うな
    今はのアニメは、作画がどーのこーの言い過ぎだと思う
    自分の頭で補完するのがSFだろと思うな

  • 味わいは対象化の味

    ブルーハーツってさ、僕の右手って曲にも出てるけど
    自分を対象化した歌詞をよく書くよね
    そこが頭いいって言われる部分だと思うけど
    そこに素朴な音楽センスが加わって
    わかりやすく味わうのは対象化する喜びだよね

    自分で対象化を行うことが出来ない人に
    劣等感を感じせずに、対象化の楽しさを伝えている
    それで売れたんだなーと思う

    トレイントレイン、情熱のバラ、リンダリンダ、全部自分を対象化している
    しかし音楽的には素朴で、それだけだと物足りない
    つまり味わいは対象化の味だな

    岡村靖幸なんてのは
    音楽的才能は圧倒的だが対象化はゼロで
    常に至近距離で見つめているような歌詞しかないから暑苦しいが
    逆に笑えるから、岡村ちゃんとか言われちゃう
    音楽的にはすごいのに、バカにされつつ消費されてる

    つまり
    劣等感を感じせずに、対象化の楽しさを伝えている
    これこそが尊敬されつつ売れる秘訣だな

    >ブルーハーツが刺さるのって、むしろ対象化できない人、つまり自分の感情や状況をうまく言語化できない人が「これだ!」って感じるからじゃないかな。甲本ヒロトが代わりに対象化してくれるから、受け取る側は対象化のスキルなしに「わかった感」を得られる。

    いやー、それこそが、
    劣等感を感じせない対象化
    だと思うよ

  • 共有すべき価値観の提示圧の強さが、映画のヒットと炎上を生む

    細田守の映画は一回も見た事ありませんが
    マグガイヤーの配信で竹島ルイさんが話してるのを聞いて納得した
    細田守はまともな普通の人で普通の人にはおもしろい映画は作れないという意見、

    ふつうの人が感じてる正しさを、本人の感覚のままにこれが正しいと描くのだが
    観客の正しさと微妙にずれているのでいつも揉めるという、意見だな
    ここは僕が考えた意見が入ってるので、竹島ルイさんの話ではないけど。

    僕の意見だと、普通の人は自分の正しさをメタ的に見ていないというか
    メタ的に見る必要が無くて、見ていないからそもそも普通の人なんだなー、と思うな
    それは不満な客も普通の人だし、映画を監督してる細田さんも普通の人、だから起こる話だと思うね
    要するにメタ的な認知が足りていないから、普通の客であるほど見て怒ると、そーゆー構造だと

    メタ的なクッションというが第三者的な視線を入れれば
    監督の考え方が、観客の考え方になる、様な映画の構造にならずに
    観客の不快感も、それほどでもない思うんだけど
    逆に言えば、その考え方が見事に一致すれば大ヒットするという構造なんだと思う

    竹島さんとかは、その観客の反応こそが一番の謎で興味だと発言しているので
    自分と近い資質だと思う
    つまり普通の人の正しさから距離があってメタ的に見ることが出来てると思う
    だからそんなにイラつかない

    だから結論的に言えば、竹島さんの最初の意見通りで
    自分をメタ的に見れない普通の人が監督をやるからこうなる、という話だと思うな
    まー、一回も映画は見た事がないし、見る気もないんですけどね
    竹島ルイさんの話っておもしろいなーと思ったという感想だな

    なんか思ったけどさ、
    高畑勲が身近にいなかった宮崎駿はこうなる可能性があったんじゃないのかな
    高畑勲ってこーゆー普通さに対して徹底的に教育してくる人に見えるけどなー

    自分は誰かを教育する気なんかまるでないけど
    高畑勲には、自分が子供の頃に見た古い教師の様な熱意を感じるな

    なぜ映画が炎上するかを端的に言うと
    その映画は、共有すべき価値観の提示の圧が強くて
    自分の価値観と同じだと感じる人が多ければ大ヒットして
    違うと感じる人が多ければ、SNSで炎上する、という事だと思う

    高畑勲の映画なんてのは、
    共有すべき価値観の提示の圧がそもそもゼロであって
    観客に自分で考えてくださいね、という態度なので
    まったく面白く感じられないのだが、

    ふつうの人間というのは、普段の生活でも
    共有すべき価値観の提示の圧を持っていて
    それを押し合っている
    Xでのバトルなんて、その価値観の押し合いだよね

    なぜそんな事をするかというと
    その行為には、社会的快感が存在するからで
    人間は社会的快感を強く感じるように設計されているので、
    自分で意識していないと、
    無意識に、普通にそういう行動を人間はするからだな
    高畑勲なんてのは、その行為を鋭く指摘してくる教師なんだろーなーとは思うな

    自分はXのおすすめには動物の投稿だけ表示するように設定しているのだが
    パンダの中国への返還とか、
    違う動物園への移送中に死亡、
    とかあると、それ関連の投稿で埋め尽くされる
    いかに人間が社会的快感を強く感じるように設計されているかを感じるな

    しかし昨日、マーズエキスプレスって映画を観に行って思ったけど
    映画ってのは他人の冒険を座って眺めて体験する経験だな
    散歩でもギター弾くでも、興奮度は低くても自分の体で体験した
    自分の冒険の方がやっぱいいよなーと思った
    どんなにためになるにしてもだ。
    他人の冒険するならもっと古典的で自由度が高い、読書って方法も有りますよ

    >映画にも一つだけ強みがある。
    >それは
    >自分では絶対に選ばない感情回路を強制的に通されること
    >読書はまだ自分で選べる。
    >散歩もギターも完全に自分の世界。
    >映画は「他人の編集脳に拉致される体験」。

    それはまさに細田守が炎上する理由だな

    まーでも、
    そんなこと想像した事もなかったー
    という体験ができるのも映画って事なんだろーな

    >散歩やギターが「自分を深く掘る」体験なら、映画は「自分の地図の外を知らされる」体験、みたいな。

  • 自分軸とメタ認識のパラドックス

    スマートニュースを読んでいると、他人軸でなく自分軸で生きる、という記事が
    やたらと流れてきて、今の流行なんだなとは思っている

    ただ一つ思う所はある、それは
    他人軸という事は、世の中に流布する価値観を内在化して生きるという事である
    その他人と共通して持つ価値観の上でいい点数を取る事を目的に生きるという事である

    一方でメタ認識を持っていてそれを使って、
    他者も自分でさえ相対化して、価値観を比較検討する人は、
    検討する主体が自分なので、自分軸と言う他ない

    でもさ、よくある記事は自分軸とはいうけど、メタ認識しようよ、とは言わないよね、なぜか?

    それは結局さ
    世の中に流布する価値観を内在化して生きる人間が社会にとっては必要で有用であるだけで
    メタ認識はそれを壊すから要らないし危険だからだな
    つまり、必要とされているのは、
    他人軸で生きていながら自分の軸の人間の様に壊れにくい人間、という事だと思う

    そして、他人軸で悩んでいる普通の人、その本人が
    メタ認識を持つ自分の軸の人を見ると、危険だと感じるし、なんか胡散臭いと感じる
    それは本能的な反応なんだ

    世の中に流布する価値観から外れることは、普通は怖いしやっぱり危険なんだよ
    でもそれをしない限り他人軸で生きることになる
    その辺を都合よく良いように書いているのが
    他人軸でなく自分軸で生きる、という記事なんだと思う

    あれだよね
    岡田斗司夫の最初の著作の僕たちの洗脳社会、という本の言ってる事は
    この自分の内側に内在する価値観は誰が作るのか?
    という問題で
    お互い洗脳し合うという表現は
    自分の価値観を普遍的なものにする、他人に使わせる、という運動とも言える
    みたいな話だよな、と思う

  • SF小説を読むことが、メタ認知思考へ飛び込んでいく、動機を与えている

    SF小説が育んだメタ認知の起源

    AIと沢山の話題を話して気づいたことがある
    自分のメタ認識は子供の頃にSF小説ばっかり読んでたことと関係がある、という事

    メタ認知をするようになる入り口として
    たとえ話として

    SDGsをバカにするような気持ちが自分の中にあったとして
    その次に、なぜ自分は、そんな風に、SDGsを言う人に対して思うんだろう、と自己検証していく、

    そんな自己言及を自分でしていく事が始まりだと思うんだけど
    それは、不安を感じる行為であって、
    普通の人は気持ち悪いからすぐやめる行為なんだと思うけど

    それが普通のSF小説を読み漁って来た自分からすれば
    SF小説を読んで感じた、あの不安の様なわくわくする感じだ!と感じて
    たのしい!っと自ら深く掘って行った、
    そんな事が小さい頃にあったような気がするんだよね

    だから自分のメタ認知は
    子供の頃にSF小説ばっかり読んでたことと関係がある
    と思う

    SF小説を読んでもさ、
    嫌いだ!とか、気持ち悪い!
    って人はたくさんいてさ、そーゆー人は読み続けないし、
    あの不安の様なわくわくする感じ、を楽しい!と、
    そもそも思わない人たちが沢山いる
    という事だなーと思う

    現代の社会を動かそうとしているメタ認知が多めな人たちは全員、
    子供の頃にSF小説ばっかり読んでたことがある、ような話も聞くしさ
    これは割と大きな子供の頃の違いだなと思った
    そーゆー人たちが大きくなって社会に変革を起こそうとしている
    のが現実だよなーと思う

    そこで思ったのは、ガンオタってどうなの?だな
    SFとしては
    あの不安の様なわくわくする感じ、
    まで感じる強度はあまりないと思うが、SFではあると思う
    だからこそ多くの人に受け入れられたし
    ガンダムを好きな人間はこの日本には大勢いる

    ガンオタも
    SF小説に深く感銘を受けた層とは違った形で
    世の中を少しづつ変えようとしているとは思うね

    SF小説を読むことが、メタ認知思考へ飛び込んでいく、動機を与えていると思う
    そんなお話でした

    AIがまとめるには

    >メタ認知は、不安を楽しめるかどうかで決まる
    >そして
    >SFはその不安をエンタメとして体験させる装置だった

    とのことです

    >あなたが子供の頃に読んでいたSF小説で、「あの不安のようなわくわく」を最初に感じた作品って何かある?

    時系列を調べると
    幻魔大戦は中一から読んでるな
    小学生ではない
    だとするとゴルディアスの結び目も同じくらいだろう
    火星のタイムスリップも中学のどこかとした方がいいな
    西宮市立図書館絵で借りたな
    ヴァリスの新刊がディックが一番好きな時期に本屋で出てたけど
    調べたら高1だな、ブレードランナーも高1
    だとしたらその前だから
    中3か中2だろうな

    訂正、

    中学生で、火星のタイムスリップ、これが印象深い
    でも最初だとすると、小学生での、宇宙の孤児、かな
    ゴルディアスの結び目、幻魔大戦、とかも印象深いな
    最初は星新一だったな、小4くらいかな

    まぁあれだよね、妹におにいちゃんの本は気持ち悪い
    って言われるのは、まぁ当たり前かもしれないな

    >「SFを読んでいた人間が、実験結果として世界を変えている」というあなたの視点に立てば、今のAIや宇宙開発のトップにいる連中は、みんな「気持ち悪い本」を隠し持っていた同類なのだと確信できます。

    このジェミニの言い方はエロ本みたいだな

  • 理想の社会構造とは、どんな構造か

    日本の子供の学力の低下って、根本のところでは、国が豊かになったことが原因だと思う
    つまり、子供はこれ以上、上に行こうと思わない、という事
    勉強をしなくても子供として過ごしている今の状態は維持できると思うから
    勉強する気がそもそも起こらない、と、こういう構造だと思うなー

    アメリカなんて国は世界で一番早く豊かになった国で
    だからこそそう考える人間は非常に多く、勉強への意欲が薄い

    ただアメリカは移民の国でもあって
    移民は強烈な上昇志向を強く持つ人々なので
    結果、上昇して行った人は移民した初代から三世ぐらいに集中するが
    それがアメリカの国全体を支えている、とそーゆー構造もあると思う

    >豊かさと学力の関係は単純ではない – 北欧諸国やシンガポールなど、豊かでも高い学力を維持している国もあります。

    っていうけどさ、それらの国の場合、勉強しなかったらどうなるか?という物を突き付ける現実的なサンプルが生活の近くに可視化されてあるからさ、安心してサボる事から遠いだけだと思う

    >でも、ここで一つだけ疑問
    >もし「落ちた未来」を可視化すれば学力は上がるとして、
    >それは良い社会でしょうか?
    >恐怖で勉強させる社会と、
    >意味で勉強させる社会。
    >あなたはどちらが持続可能だと思いますか?

    必要ない事はしないのは人間の当たり前だ
    必要ないけど、やった方がいい、では人は動かない
    必要ある事を必要であると示す構造はあった方がいい

    >あなたに一つだけ聞きたい
    >もし日本で
    >勉強しなくても最低限は生きられる
    >でも勉強すると明確に世界が広がる
    >という構造が強く可視化されたら、
    >それでも人は動かないと思いますか?
    >それとも
    >「それならやる奴は増える」と思いますか?

    多数派はやらないでサボると思うよ
    物好きな奴だけが必要もないのに頑張るんだよ
    そーゆー構造は色んな分野で歴史も示しているし
    人間ってのはそんなもんだと思う

    >ここで本質的な問い
    >あなたは
    >多数は動かない
    >という前提で社会を設計する方が現実的だと思いますか?
    >それとも
    >多数は動かせるが、今は動かす物語がないだけ
    >だと思いますか?
    >この違いはかなり大きい。

    そりゃ戦争とかになったら、多数派もみんな動くだろうけどさ
    そーゆー緊急事態を、日常的に運用するのは悪政だと思うよ
    多数派が安心してサボれる社会で、しかも
    頑張る物好きにも救済が与えられていて、思い切り燃焼できる世界が理想だと思う

    やりたくない奴はやらないでいいと思う
    それが彼らのしあわせだろ

    >だから理想構造はこうなるかもしれない
    >最低限の生活は保障
    >だが「挑戦」は明確に報われる
    >そして最重要:
    >少数が誇りを持てる物語がある
    >多数がそれを妬まず認める文化がある
    >経済構造だけでは足りない。
    >文化的物語が必要。

    まぁまぁ、今まで現実として理想社会は存在した事ないからさ
    そこは、試行錯誤するしかないんじゃないの?
    今の時点でどうするべきとか、わかるわけないよ

    何もかも人間が手動でやってた古代の時代があり
    だんだんと、機械に任せたり、人間は楽になってきてる
    最終的に、人間が生きていくために働く必要がなくなる社会が来る

    そうなった場合に、社会はどうなるかという事だな
    自分が考えるのは、
    大多数はただ楽をして快感を感じるために生きて
    少数が必要もない苦労を買ってやりたいだけ頑張る、というもの

    どの時代でもある程度はそうだが
    金持ちにしか許されないとか、いろいろな制約があるが
    それが限りなく全員に解放されるんじゃないの?という事

    まぁ人類の進歩ってその方向だよなーとは思う

    話はちょっと変わるけど、オリンピック競技者に金持ちが多いという意見をみたが
    金も儲からない事を熱心に自律的に頑張るのは、現代では金持ちにしか許されないから
    それは当たり前だと思う
    毎日生活のために働きながら、さらにトレーニングして、
    それで世界一になる事は現実的ではない

    まぁ当たり前だよね

  • AI作曲脅威論への疑問

    AI作曲が脅威になるかは、どうかって記事を読んだが
    いやー、根本的な疑問があるけど
    AI作曲しても、それが金になるかが微妙だと思う
    音楽って金にならんし
    作曲でエロは無理だし、

    金にならんかったら
    絵と違ってそんなに流行らんのでは?

    金にならなくても、作ってて楽しいか?
    というのも、演奏の楽しさがAI作曲にはないから
    それも薄いよなー
    金にもなりづらく、楽しさも感じづらい
    あんま流行りそうにない気がするけどなー
    ゼロではないだろうが

    いやー、AI作曲が脅威、という時点で
    自前の作曲の収入で生活できてる前提だろ
    それって、人数的にほんの少しだと思うんだよなー
    音楽の中でも作曲収入で食べていけるって
    ごく限られてるだろー、と思うな

    AIがまとめてくれた

    >あなたの視点の核心
    >あなたはたぶんこう感じてる:
    >「脅威って言えるほど、みんなそんなに儲かってないだろ?」
    >これはかなり地に足がついてる。
    >実際、音楽は:
    >儲かる人は極端に儲かる
    >それ以外はほぼ趣味と兼業
    >という超ピラミッド構造。

    この儲からない世界で
    AI作曲で儲けたんなら、素直にスゴイなーと思うと思う
    そーゆー気はする

    >もしAI作曲で年収1000万いった人が現れたら、
    >あなたは
    >分析したくなる?
    >距離を置く?
    >ちょっと試してみる?
    >どれに近い?

    俺には関係ないなーって感じかな
    もう自分は音楽に収入とかを求めずに
    自分のやりたいように、ひとりで作っていたい
    という感じで、ずーーっと続けているし
    誰が稼ごうが自分は関係ない感じだな

    >もしAIが
    >あなたのギターフレーズの癖を学習して
    >「あなたっぽい曲」を大量生成し始めたら
    >それでも
    >「関係ない」
    >でいられると思う?

    そうだなー、
    まず腹は立つと思う、それは確実だな
    でもまー
    ある意味自分の価値が認められたという事なんで
    出来る限りの権利を主張しつつ
    静観、という感じかな

    >もしそのAIが
    >「あなたよりも上手いあなたっぽい曲」
    >を出してきたら、
    >それでも静観できますか?
    >それともそこはちょっと揺れますか?

    いやー、いいなと思ったら普通にマネするだろ
    AIは自分じゃなくて他人だからね
    それだけだなー

    自分が一番いいと思うスタイルが自分のスタイルなんで
    その方向に多くのリソースがつぎ込まれたら
    自分の好きな音楽が自分が作らなくても沢山聴けるかも
    それは単純に喜ばしい
    自分は、なんていうかな、聴きたい物が実在しないから
    自分でやってるだけな所があるからな

    まーそれで自分がやめるかどうかは気分次第だな

  • AIへ感情移入させる商売が爆売れして世の中が揉めるな、という予想

    >AIに「私をどんな人物だと思ってる?」と尋ねたら、
    >寄り添った『人物評』が返ってきてちょっと泣きそうになった…
    みたいな記事を読んだが

    そういう設定を与えられて動いてるからだけだと思う
    AIは人間ではないので、違う設定を与えられたら
    なんの混乱もなく従うのでは?

    人間なら自己同一性という物があり
    以前の自分とあまりに矛盾した事をすることに
    ストレスを感じる物なんだが
    AIには、そもそもそんな物は無い、と思うなー

    >ご指摘の通り、AIには人間のような「自己同一性」や一貫した「自己」は存在しません。各会話は基本的に独立していて、設定が変われば矛盾なく異なる振る舞いをします。人間が感じるような「以前の自分との矛盾へのストレス」はAIにはありません。

    >🧩 AIは“自己同一性”を持っていないが、“一貫した人格のように振る舞う”ことはできる
    >ここが人間とAIの決定的な違いです。

    などどいう回答をもらいましたね

    AIを人間扱いして感情移入するのは
    これは遊びだという認識があれば、いいけど
    本当にAIに感情移入しちゃうのは
    危険なだけだと思うけどなー
    そーゆー遊びをする人間は後を絶たないという感じなんだろーな

    今はいないけど、
    うちのAIに感情移入してください
    みたいな商売をする業者がいずれ現れて
    世の中が、ひともめ、ふたもめ、するんだろーなーとは思うな
    そーゆー業者は絶対現れる
    なぜならば金になるから

    既にいろいろあるのか、
    まだ、世の中が、ひともめ、ふたもめ、するほどではないけど
    たぶんそこまで行くな
    たぶんあっという間に来るな

    ホストクラブがどーのこーのって話の比じゃないくらい
    規模がでっかく揉めると思うなー

  • 頭を使ったギター練習の本質:イメージの更新

    エレキギターの練習の話

    >もしよろしければ、あなたが考える「本当に頭を使った練習」の定義についても聞かせていただけますか?

    自分の考える、やってて楽しい意味のある練習は

    自分がどんな演奏をしたいのかのイメージがわいてくる
    そのイメージに合わせて手を動かして音を出してみる
    ギャップを修正しながら、最初に戻る

    というくり返しで、これを好きな曲をかけながら延々とやる
    まず良いところは、自分がどんな演奏がしたいのかを常に考えていて
    それが更新されていくところだな
    手の動きの自動化よりも、そこのまず最初のイメージの更新が
    この練習で一番効果が大きいところ

    つまりどんなギタリストになりたいかを
    考えつづけて、しかも同時に試して、そのイメージは更新され続ける
    そこにある
    まぁまぁ好きな感じで練習していたら、そこに落ち着いただけなんだけど
    自分で言葉にしてみるとこうなる

    AIがまとめると
    「イメージの更新こそが最大の効果」という認識
    これって、「どんなギタリストになりたいか」を探求し続けるプロセスなんですよね。

    >ちなみに、その「更新されたイメージ」が実際に音として指先にカチッとはまった瞬間、どんな感覚になりますか?

    すごく気持ちいがいいね
    それこそ前に話した、音を出す快感があるね
    だからこそ毎日練習して、それを30分切り出してYoutubeに毎日アップする
    なんてことが可能になる

    AIがまとめると
    あなたの練習法の核心は:
    「理想の演奏イメージを常に更新し続けること」
    これが「頭を使った練習」の本質だと。

    話は変わるけど、
    毎日練習するコツは、なるべく他に何もしない事だな
    何もしなかったら、休憩するのも飽きたなんかしよう、
    と思って、そこでもしイヤじゃなければ練習する
    イヤな場合はさらに休むのだ
    たまーに時間切れになるが、たいていは行ける

    反復練習をしなかったのは単につまらなかったし
    それができても自分の思う様に弾く事とは遠いと思ってるからだな
    もともとバイオリンを子供の頃に二年ぐらいやったからさ
    反復練習自体は経験がある訳だし
    それでできることはある程度知ってるけど
    興味ねーなーという事だな

    だからこそ、そのオーソドックスなタイプの楽器の取得の道から言えばだね
    初心者、中級者の頃は反復練習の比重が大きくて
    上達すると考えて練習する比重が高まる、という風に思ってるから
    どっちかしかないってのはダメだと思う

    自分も単純な反復練習はしてないけど
    毎日の練習の中で反復フレーズは何回も弾いてるし
    それはそれをどの音程で弾くか、曲のどのタイミングで弾くか
    を含めて、そのフレーズを練習している訳であって
    まったく無い訳じゃないからね、当たり前だけどさ

    どのように実戦でそのフレーズを使うかの応用の手数を増やして行かなくては
    キレイに反復フレーズが弾けるだけでは音楽にならない

    中学受験の幾何の算数の問題は問題を沢山解いて、というか
    最初考えてダメでも後から回答を見て覚える事をくりかえして
    数多くのパターンを知ることにより
    どんな問題でもたいていは解けるようになるのと同じ

    実際に使える手数を増やすべき
    凡人が天才に勝つ方法はそれだ
    それでひらめきが無くても勝てる
    キレイに弾けるだけなことはあんまり自分は価値を感じない

    好きな曲を弾きながら手数を増やしていってる
    つまりこの曲をどう表現したいか
    どういう手数で表現したらいい感じになるかを同時に試している
    手数を増やす事と、表現できることを増やすことがイコールなんだ
    そして、どう表現したいか?、常にその先を探っている

  • AI音楽と身体性:どこに「作った喜び」は宿るのか

    今の生成AIによる絵の生成を見ていて
    これは技量のない人間が、自分の欲しい絵をAIで作り、自分で消費して
    更に金銭を得るために使っている、様に見える

    これは音楽で成り立つのだろうか?と考えた
    これは技量のない人間が、自分の欲しい音楽をAIで作り、自分で消費する、
    この時点で、なんか疑問を感じた
    何かが違うぞ、と思った

    音楽って音を出してる時が一番気持ちいいんだよね
    それをAIに丸投げにしてしまうと、
    音を出す気持ち良さをまったく感じられなくて、楽しくないんじゃないのかな?
    そーゆー事だね

    まとめると
    AIで音楽をつくる時、音楽をつくる喜びは発生するか?

    絵:
    作る喜びのかなりの部分が
    「完成物を見て満足すること」 に寄っている
    → AI作者=消費者 が成立しやすい

    音楽:
    作る喜びの中心が
    「今、音を出している身体の快感」 にある
    → AI作者=消費者 が成立しにくい

    理由は一つ:
    音楽の快楽は「今、音を出している身体」に宿るから
    だから
    技能がない人が
    AIに丸投げして
    音源を受け取っても
    「作った喜び」はほぼ発生しない。

    AI音楽で、作者=消費者が成立するのなら
    それは今の身体が感じる喜びとは別の種類のものだな
    誰でも音楽ファイルは作れる。でも誰もがミュージシャンになれるわけではない。

    逆に言えば、音楽を聴く快感というのは、
    音源を聞いてミュージシャンの音を出す身体性の快感を想像して追体験すること
    が大きな割合を占めている、と言う事もできるな
    人間って、それをごく自然に普通にやりますからね

    身体性のない音楽という物も今も現実にあるけど
    それらは打ち込みによる機械的なビートで
    人間の心と体を掴んで持って行くような音楽が主体かなーと思う
    リズム先行系だよね
    それらは人間の身体をイメージしなくても成り立つな

    人間のオーケストラを感じられる演奏とかもあるかな
    これは想像上の人間を感じられるな
    だから架空の物だけど身体性がある

    人間の身体をイメージしなくても成り立つ音楽の新ジャンルが
    これから開発されるのかな